岐阜エフエム放送時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 22:55 UTC 版)
「エフエム岐阜」の記事における「岐阜エフエム放送時代」の解説
岐阜県へのFM局の周波数割り当ては構想としてはあったものの、県域AM局として岐阜新聞系列の岐阜放送があり、1980年代後半まで郵政省(当時。現在の総務省)が、県域AM局経営安定の観点から県域FM局の周波数割り当てを渋っていた点や県南部の美濃地方では、平野部を中心にエフエム愛知(FM AICHI、1969年開局)、三重エフエム放送(1985年開局)、ZIP-FM(1993年開局)が容易に入り、割り当て気運が低かった。 また1992年(平成4年)12月18日に福島県・栃木県・和歌山県とともに岐阜県への県域民放FM周波数割り当てが決まった後も 新幹線駅のある羽島市と大垣市が本社候補地となり、選定が難航しなかなか定まらなかった。それに加え、当初38件の申請があり、それを2社に絞り込まれるまで8年掛かったことや中日新聞と岐阜新聞との仲が悪く、経営権などで両新聞社が争っていたことも岐阜エフエム開局が遅れた要因となっている。なお、定時ニュースは中日、岐阜の両新聞社から提供を行っており、2005年11月より両社のCMが流れるようになった。過去には中日新聞と岐阜新聞はテレビ愛知に揃って出資しているが、岐阜エフエム放送の時のような対立は見られなかった。 岐阜新聞と中日新聞の対立については「岐阜放送#岐阜新聞と中日新聞」を参照 同様の例として、エフエム石川における北國新聞と北陸中日新聞との対立が挙げられる。 北國新聞と北陸中日新聞の対立については「エフエム石川#北國新聞と北陸中日新聞」を参照 2000年7月14日に予備免許交付、12月14日に会社が設立される。設立当初本社は柳津町(当時。現在は岐阜市に編入)にあった岐阜流通センター会館2階にあったが、後(詳細時期不明)に演奏所であった大垣市情報工房に移転している。 2001年4月1日開局、2007年9月3日に神岡流葉中継局を開局したものの、放送設備に多額の費用が掛かったことから2003年以降「純欠損」という債務超過の状態だったことから、通常は5年とされている放送局免許の有効期間が短くなっており、ほぼ毎年電波法の規定による再免許の申請をしなければならなくなっている。例えば2011年については、4月28日付官報本編にて所管大臣・片山善博名義で手続開始が公示された。関連して同年下旬より在名放送局と岐阜放送、同じJFN系列の県域局である三重エフエム放送で試験放送を開始したradikoには不参加でもある。前述の事情もあり、スポットCMが放送されることが少ないため、CM枠は番組宣伝やパワープレイしか放送されない場合も多い。
※この「岐阜エフエム放送時代」の解説は、「エフエム岐阜」の解説の一部です。
「岐阜エフエム放送時代」を含む「エフエム岐阜」の記事については、「エフエム岐阜」の概要を参照ください。
- 岐阜エフエム放送時代のページへのリンク