岐阜1区関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 15:23 UTC 版)
2005年8月、郵政解散を受けた第44回総選挙で、郵政関連法案に反対した野田聖子元郵政大臣への刺客として岐阜1区で自民党より佐藤が公認される。選挙戦の序盤から候補者の一挙手一投足が過熱に報道され、週刊誌による激しいネガティブ・キャンペーンも行われた。当時、野中広務氏の甥が週刊文春の編集長であり、政治家の絡む選挙妨害に巻き込まれたとの見解があった。総選挙の結果、野田は選挙区で5選を果たし、佐藤も比例で復活当選した。 2007年8月10日、野田聖子事務所への放火事件が起き、同時に佐藤を中傷するビラも路上にまかれる事件が発生した。犯人は不明とされるが、野田事務所の秘書が岐阜県警から任意聴取を受けた。 2005年の総選挙後、自民党執行部(武部勤幹事長)が求めた離党勧告に従い野田ら“郵政造反組”は自民党を離党したが、党執行部が安倍体制に代わると、2006年12月4日に野田聖子を始めとする保守系無所属議員が自民党に復党した。 福田政権となり、古賀誠自民党選対委員長らの調整により、2008年1月、自民党は世論調査で僅差で優勢な野田聖子を同選挙区の公認候補とする方針を決定した。これに対して、岐阜残留を求める佐藤の後援会が街頭署名活動を行い、2万人以上の署名が集まった。協議の結果、佐藤の東京5区への転出が決まり、党本部記者会見で野田・佐藤両者が握手を行い、円満解決を演出した。一方、東京5区に“国替え”した佐藤は、前任小杉隆議員夫人による巨額の借金問題が残る地盤で、2009年自民党大逆風の衆議院選で、前任小杉より得票数を増やしたものの完全落選した。
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