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やまぐち‐せいそん【山口青邨】

読み方:やまぐちせいそん

[1892〜1988俳人岩手生まれ本名、吉郎。高浜虚子師事。「夏草」を主宰写生根ざした清純高雅な句風知られた。句集雑草園」「露団々」など。


山口青邨

山口青邨の俳句

ある日妻ぽとんと沈め水中花
ある本の海賊版や読初
うつくしや扇づくりの苗代田
きしきしと牡丹莟をゆるめつつ
げらげらと笑ふ橇より落ちころげ
この新樹月光さへも重しとす
こほろぎのこの一徹の貌を見よ
これよりは菊の酒また菊枕
たんぽぽや長江濁るとこしなへ
はなやかに沖を流るる落椿
みちのくに光堂あり芹を摘む
みちのくの乾鮭獣の如く吊り
みちのくの淋代の浜若布寄す
みちのくの町はいぶせき氷柱かな
みちのくの雪深ければ雪女郎
みちのくの鮭は醜し吾もみちのく
よろこびはかなしみに似し冬牡丹
われが住む下より棺冬の雨
をばさんがおめかしでゆく海臝うつ中
をみなえし又きちかうと折りすすむ
ゼンマイは椅子のはらわた黴の宿
一樹にして森なせりけり百千鳥
乱菊やわが学問のしづかなる
人それぞれ書を読んでゐる良夜かな
人も旅人われも旅人春惜しむ
光堂かの森にあり銀夕立
凍鶴の一歩を賭けて立ちつくす
初富士のかなしきまでに遠きかな
啓蟄の蚯蚓の紅のすきとほる
四月馬鹿ローマにありて遊びけり
外套の裏は緋なりき明治の雪
天近く畑打つ人や奥吉野
実朝の歌ちらと見ゆ日記買ふ
恋の矢はくれなゐ破魔矢白妙に
文筆の徒にもありけり年用意
春愁や虚構の恋の捨てがたく
月光が革手袋に来て触るる
森の中噴井は夜もかくあらむ
沈みゆく海月みづいろとなりて消ゆ
海底のごとくうつくしく末枯るる
火美し酒美しやあたためむ
牧場守そこらに出でて月をみる
玉虫の羽のみどりは推古より
祖母山も傾山も夕立かな
祖母山も傾山も夕立かな
秋の蛇人のごとくに我を見る
舞姫はリラの花よりも濃くにほふ
菊咲けり陶淵明の菊咲けり
蕗の薹傾く南部富士もまた
蟷螂の斧をしづかにしづかに振る
 

山口青邨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/17 08:12 UTC 版)

山口 青邨(やまぐち せいそん、1892年明治25年〉5月10日 - 1988年昭和63年〉12月15日)は、日本の俳人・鉱山学者。岩手県出身。東京大学名誉教授。

本名は吉郎(きちろう)。初号は泥邨。高浜虚子に俳句を師事、工学博士として東京大学に勤めながら俳誌「夏草」を主宰した。

経歴

岩手県盛岡市出身。父は士族の家柄。5歳のときに母が死去し、母方の叔父笹間夫妻の元で育った[1]岩手県立盛岡中学校卒業、1910年、第二高等学校入学。野球部でキャプテンを務めた[1]。1916年、東京帝国大学工科大学採鉱科卒業。古河鉱業に入社。1918年、退社し農商務省技師として鉱山省に勤務。19年にはシベリア炭鉱を調査した。1921年、東京大学工学部助教授。1922年結婚。1927年から1929年までベルリンに留学。1929年、東京大学工学部教授。1953年、東大教授を定年退職し名誉教授。東大教授を定年退職して後は、公職につかず、毎日俳壇など各種の新聞・雑誌で選者を務めた。

二高時代にドイツ語教授の登張竹風から文学上の影響を受ける。1920年に石原純、山中登らと、文芸誌「玄土」を創刊、シュトルムの「湖」を日本で初めて訳し、「蜜蜂の湖」の題で発表した[1]。1922年より高浜虚子に師事。「山会」に参加し、はじめは写生文の書き手として頭角を現した[1]。また同年に水原秋桜子山口誓子富安風生高野素十らと東大俳句会を結成。1923年、「芸術運動」発刊。「ホトトギス」の僚誌「破魔弓」にも参加し、同誌が1928年7月号から改題により「馬酔木」となった際には、水原秋桜子らとともに同人のひとりであった[2]

1928年、ホトトギスの講演会で「どこか実のある話」と題する講演。この中で「東に秋素の二Sあり! 西に青誓の二Sあり!」と語ったことで、水原秋桜子高野素十阿波野青畝山口誓子の四人が「ホトトギス」の「四S」として知られるようになる[1]。当時虚子・素十と秋桜子との対立が始まったことを慮っての発言であったが、間もなく秋桜子と誓子は「ホトトギス」を離れていくことになった。

1929年、「ホトトギス」同人。以後終生「ホトトギス」の同人であった。1930年、盛岡市で「夏草」を創刊、選者ののち主宰。「夏草」ではのち古舘曹人深見けん二小原啄葉有馬朗人斎藤夏風黒田杏子などが育つ。また写生文の掲載も特徴であった。1931年、東京・杉並区和田本町に転居。多くの植物を愛で、のちにみずから「雑草園」と称し句集の題にも取った。1934年、東大ホトトギス会を興し学生を指導。

1988年死去。没後、蔵書は日本現代詩歌文学館に収蔵された。また長く住んだ「雑草園」の住居部分「三艸書屋」も同館の別館として移築・保存されている[1]。墓所は、岩手県盛岡市の東禅寺。

作品

  • みちのくの町はいぶせき氷柱かな
  • 祖母山も傾山も夕立かな
  • たんぽぽや長江濁るとこしなへ
  • 銀杏散るまつただ中に法科あり
  • 外套の裏は緋なりき明治の雪

などが代表句として知られる。66年間の句行で『雑草園』『雪国』『露團々』『花宰相』など13句集を刊行、収録数は合わせて1万句を超える[3]。幼児より親しんだ漢詩文の影響が強く、句風は典雅・高潔[4]。科学者としての目も生かした写生・観察に加え、省略や象徴、季語の活用によって複雑なものを単純化することを目指した[1][3]

また東北の故郷を愛し「みちのく」として詠んだ。ことに第一句集、第二句集にみちのくの風土を詠んだ句が多い[1]。上掲「みちのくの」の句は1929年に「ホトトギス」初巻頭を取ったときの句で、青邨の「みちのく」句の嚆矢となった句である。山本健吉はまたこの句が「俳人の「みちのく」流行の発端をなしたものと思う」としている[5]。「祖母山も」は1933年作で、大分県の尾平鉱山を訪れた際に作った馬上吟であったという[6]

青邨は海外詠の先駆者でもあり、ベルリン留学の際に多くの海外詠を試みている。「たんぽぽや」の句は留学の帰途に上海で作ったもので、「ホトトギス」巻頭をとり当時の俳壇に衝撃を与えた[1]

写生文・随筆の書き手としても知られた[1]。随筆集に、『堀之内雑記』『草庵春秋』などがある。

著書

『山口青邨季題別全句集』(夏草会、1999年)による。

句集

  • 『雑草園』(龍星閣、1934年)
  • 『雪國』(龍星閣、1942年)
  • 『花宰相』(龍星閣、1950年)
  • 『庭にて』(龍星閣、1955年)
  • 『冬青空』(近藤書店、1957年)
  • 『乾燥花』(竹頭社、1968年)
  • 『粗餐』(夏草発行所、1973年)
  • 『薔薇窓』(中央公論美術出版、1977年)
  • 『不老』(夏草発行所、1977年)
  • 『繚亂』(夏草発行所、1981年)
  • 『寒竹風松』(夏草発行所、1984年)
  • 『日は永し』(夏草会、1992年)
  • 『山口青邨季題別全句集』(夏草会、1999年)

自句自解

  • 『山雨海風』(夏草会、1951年)
  • 『自選自解山口青邨句集』(白鳳社、1970年)
  • 『自註現代俳句シリーズ 第一期 山口青邨集』(俳人協会、1979年)

親族

句碑

  • 山口青邨句碑(盛岡市中央公民館)[9]

出典・脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 藺草慶子 「山口青邨」 『現代俳句大事典』 574-575頁
  2. ^ 秋尾敏水原秋桜子と『馬酔木』」『俳壇』第11号、2000年、2012年2月6日閲覧 
  3. ^ a b 『図説 俳句』 118頁
  4. ^ 大屋達治 「山口青邨」 『現代俳句ハンドブック』 99頁
  5. ^ 『定本現代俳句』 229頁
  6. ^ 『定本現代俳句』 230頁
  7. ^ a b 大島家家系図コンノ電器総合研究所
  8. ^ 92歳「念願かなった」…熊谷で父の句碑と対面 「ホトトギス」の代表俳人・山口青邨氏の長男、梅太郎さん埼玉新聞、2023/05/21
  9. ^ もりおか近郊自然歩道ガイドブック”. 盛岡市. 2022年11月8日閲覧。

参考文献

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