尾崎紅葉と弟弟子とは? わかりやすく解説

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尾崎紅葉と弟弟子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 02:07 UTC 版)

泉鏡花」の記事における「尾崎紅葉と弟弟子」の解説

鏡花にとっての尾崎紅葉は、敬愛する小説家文学上の師であると同時に無名時代自分書生として養ってくれた恩人であり、鏡花終生このことを徳として旧師慕いつづけた。ほとんど崇拝といってもいいその態度文壇でも有名なものであった病床にあってなお紅葉愛弟子鏡花行末案じ原稿求めてはこれに添削加え続けたという。没後自宅仏壇にその遺影飾って毎日礼拝を怠らなかった。葬儀門弟代表として弔辞読んだのも鏡花である。 処女作『冠弥左衛門』が1894年明治27年)に加賀北陸新報転売、再連載されたことも、おそらく紅葉の口利きよるもの思われる鏡花がほとんど旧師紅葉神格化していたのに対し同郷同窓同門徳田秋声は師とは没後とりわけ距離を置き、自然主義一派加わったため、2人の仲はよくなかった後年改造社円本を出す際、弟子了解をとるべく社長山本実彦秋声訪ねると、「では鏡花ところへ行こう」というので行き話していると、秋声が「紅葉お菓子が好きでたくさん食べたから胃を悪くして死んだのだ」と言ってしまったため鏡花火鉢飛び越えていって秋声殴り山本が間に入って秋声を外へ引きずり出したが、車の中で秋声泣き通していたという。 後に里見弴らが両者仲直りさせるために徳田秋声泉鏡花お客として「九九九会」に招いたことがある。ところが鏡花は、ろくに話もしないうちからやたらと酒ばかり飲んで酔ったふりをして狸寝入りしてしまい昔噺もしようという気で出てきた秋声いつの間に帰ってしまった。それにもかかわらずそのあと秋声に会うと「この間はあんな具合君たち好意を無にしちやつたけど、なんとかもう一度機会をつくつてくれないか」と里見弴に言う。里見は心を鬼にして、「そんなこと何度やつたつて絶対に無駄だ、そのかはり、どちらが先かしらないけど、いざとい時には必ず知らせるから」と言った。しかし鏡花臨終のときに知らせが間に合わず鏡花訃報伝えていた里見元に急ぎ足秋声が来た。 「どう?」 「たった今……」 キリキリ相好変わって、 「駄目じゃアないか、そんな時分知らせてくれたって!」秋声鞭打つ様な激しさ里見怒鳴られ一言もなく頭を垂れた秋声泣いていたという。里見弴二人作家」- 『私の一日』(中央公論社昭和55年)より 尾崎家の書生時代石橋忍月ところへ使い行った際にをもらい、紅葉への使いものと知らず食べてしまって、後からいた恐縮したことがあった。また「大福餅買ってこい」といわれて、菓子屋大福売っているとは思ってもみなかった鏡花は、わざわざ遠く露天行って屋台の安い大福買ってき、紅葉笑われたことがある

※この「尾崎紅葉と弟弟子」の解説は、「泉鏡花」の解説の一部です。
「尾崎紅葉と弟弟子」を含む「泉鏡花」の記事については、「泉鏡花」の概要を参照ください。

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