尾崎秀実との思い出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:31 UTC 版)
昭和16年(1941年)7月初めに参謀本部の要請により、関東軍野戦鉄道指令本部の拓植参謀と二人で上京し、東京三宅坂の参謀本部の裏の森のなかにある参謀本部の指定旅館に泊まり、毎日参謀本部へ出頭し関東軍強化の関特演(関東軍特別演習)の輸送計画に参画した。関特演が終わって間もなく、昭和16年(1941年)9月下旬に、朝日新聞社の記者で満鉄の嘱託であった尾崎秀実が、満鉄新京支社へやってきた。尾崎の申し出により新京支社の平島副総裁(支社長兼務)以下幹部十名ほどが支社長室に集まり、尾崎嘱託との時局問題につき懇談することになった。最初に尾崎が独ソ戦の状況、アメリカの対日経済封鎖と、これに対する日本国民の対米感情、とくに日本国内の田舎における人びとの愛国心等につき約一時間にわたり説明があり、次いで「今回陸軍は関東軍を強化したがこの関特演の強化兵力ならびにこれが配置状況はどの方面であるか」と質問をしてきた。支社長室に集まった者は、福井以外関特演の内容を知る者は一人もいない。従って福井が発言しなければ誰も言えないことは当然である。最初尾崎の話を聞いていると、愛国心の強い立派な人だと思っていたようであるが、関特演の内容質問を聞くに及び、これはおかしいと思ったらしく、一言も発言せず散会したようだ。その後、10月になって尾崎は、上海の満鉄事務所でゾルゲ事件に連座し、国際スパイとして逮捕され、その後1944年(昭和19年)処刑された。この事件で満鉄上海事務所の調査役の後藤(尾崎と同期の大正14年(1925年)東大法科卒)が逮捕され、後藤は二、三ヶ月位苦しんだようだ。
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