尾崎行隆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 05:42 UTC 版)
「ウィリアム・ジレット」の記事における「尾崎行隆」の解説
ジレットは「アント・ポリー号」の乗務員(キャビンボーイ)に日本人の尾崎行隆を雇った。行隆(1865-1942)は尾崎行雄の弟で、行雄とともに1888年に渡米以来、アメリカで暮らしていた。行隆の人柄や働きぶりを気に入ったジレットは、自身の衣装係として行隆を劇場に同伴し、また執事として友人として40年間親交した。ジレットは行隆の住まいとしてジレット城のふもとに2階建ての小さな家を用意し、行隆はロバに乗ってそこからジレット城や、郵便物を取りに町の郵便局に通った。ジレット没後も遺言で敷地内の使用を許されたので、亡くなるまでその家で暮らした。行隆の家は現在もフェリーターミナルの近くに残っている。ジレットは1912年に東京市長の尾崎行雄がワシントンに桜の木3000本を贈ったのを新聞記事で読み、苗字が同じことに気づいて行隆に尋ね、兄弟であることを知った。行雄もジレット城を一度訪ねている。
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