富山市立奥田中学校いじめ自殺事件とは? わかりやすく解説

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富山市立奥田中学校いじめ自殺事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/13 17:02 UTC 版)

富山市立奥田中学校いじめ自殺事件(とやましりつおくだちゅうがっこういじめじさつじけん)[1][2]は、1988年昭和63年)12月21日富山県富山市富山市立奥田中学校1年の女子生徒A(当時13歳)が、いじめを苦に自宅アパート4階から飛び降り自殺した事件[3][4]。遺書には加害者の実名を列挙した上で「もうだれもいじめないで…」と書き残されていた[5]


注釈

  1. ^ 岩脇克己は、富山県氷見郡氷見町(現・氷見市)出身の調理師[13]。Aの自殺当時には駅前の小さな大衆食堂を任されていた[14]
  2. ^ 岩脇壽恵は、岐阜県吉城郡神岡町(現・飛驒市)出身[13]看護婦[11]。名前は岩脇 他(2008)の奥付では「壽恵」だが、「壽惠」[15]「寿恵」[13]の表記揺れがある。
  3. ^ 身体を病気から守る免疫グロブリンのうち、IgAが不足する病気。ただし12歳時にはIgAは大きく増加しており、自殺数日前の誕生日では、あと少しで普通の生活ができるとして祝っていた[16]
  4. ^ 奥野(1997)ではK子[20]、岩脇 他(2008)ではL子[21]としている。
  5. ^ 奥野(1997)、岩脇 他(2008)共にE子としている[20][22]。4月、一人ぼっちでいたところへAが声をかけたことで友人となった[23]
  6. ^ 奥野(1997)ではM子としている。A・B・Cとは別のクラスだった[20]
  7. ^ 一方でこの一件の後、Aは克己に「お父さん、チクったって言葉、知ってる?」と尋ね、その言葉の意味を説明している。のちに克己は「自分が言われてたんだなあ」ということに気付いたという[28]
  8. ^ Aは登校前に毎朝、Cに電話を掛け「今日どうする?うん、じゃあ待っているからね」と互いの登校を確認し合っていた。やがてC側からも電話が掛かるようになったが[33]、11月上旬からは全く電話をしなくなったため、母親が「A、Cさんと電話しなくなったけど、どうかしたの」と訊くに至った[34]
  9. ^ 翌日、登校してAの死を知った女子生徒は、Aが自分を励ましてくれたことや、自分がいじめに遭っていることを泣きながら母親に打ち明け、しばらく経ってから母親からAの両親に連絡が行われた[16]
  10. ^ Aが口ずさんでいたのは、ファンだった光GENJIの『パラダイス銀河』だった[45]。棺の中にも人形や本と共に、光GENJIのテープが入れられている[46]
  11. ^ 壽恵の記述によれば、午前1時15分。壽恵は「多分、Aが飛び降りるのと同時に目が覚めたのだろうと思います」としている[44]
  12. ^ 最初に克己が使おうとした公衆電話は不通だったが、のちに動転の余り、緊急ボタンではなく公衆電話設置ボタンを押していたことがわかった[48]
  13. ^ また壽恵は、Aが大切にしていた新約聖書から、丁寧な鉛筆の字で「主よ、炎の中よりすくいたまえ」と書かれた栞を発見している[52]
  14. ^ 克己は「せっかく破いたものを、わざわざ学校に持っていくはずがない。これを遺して逝ったということは捨てる時間がなかったからではないか」として、絶交状を受け取ったのは死ぬ1日か2日前だろうと推測している[56]
  15. ^ 控訴審第三回口頭弁論の担任の証言によれば、Bには虚言癖があり、5月に自分宛に嫌がらせの手紙が届くと担任に届け、12月には自分にラブレターが届いたと担任に見せていたが、いずれも自分で書いたものだった。10月3日にはクラスの他の女子にも「おまえの好きなやつを言いふらす、クラス中みんなが嫌っている」との嫌がらせの手紙を出していた。小学校の頃にもこうした自作自演や嫌がらせの手紙を書いたり、無言電話を行ったりしていた[59]
  16. ^ この催しはAと、1994年(平成6年)に県立高校のフェンシング部で熱中症により死亡した生徒の資料展として開催された[71]
  17. ^ a b 東京都町田市のいじめ自殺事件は、1991年(平成3年)9月1日に、町田市立つくし野中学校2年生の女子生徒(当時13歳)が成瀬駅で飛び込み自殺した事件[74]。奥野(1997)では本事件にも一章を割いている。両親の前田功・千恵子は1998年(平成10年)に手記『学校の壁 なぜわが娘が逝ったのかを知りたかっただけなのに』(教育史料出版会)を刊行している。
  18. ^ 克己はのちに「私たちもその当時もっと強く出ればよかった、と今思えばいえるんですが、やはり、子どものことを考えた場合には、たぶん、どなたもそうだと思うんですけれども、どうしても強く出られなかったですね」と語っている[6]
  19. ^ 学校教育課長は、両親は1年3組の作文以外には興味がなく、見せた文集にも関心を示さなかったと奥野に話しているが、両親によれば最初から何も見せられていなかった[86]
  20. ^ 神奈川県津久井郡津久井町(現・相模原市)のいじめ自殺事件は、1994年(平成6年)7月15日、津久井町立中野中学校(現・相模原市立中野中学校)2年の男子生徒(当時14歳)が自室で首吊り自殺した事件。1997年(平成9年)5月に両親が町と県に8,000万円、同級生ら10人に各100万円の損害賠償請求訴訟を起こし、2001年(平成13年)1月15日に横浜地裁で原告側が勝訴、被告側は控訴するも2002年(平成14年)1月31日に東京高裁で勝訴確定、町と県に2,160万円、元同級生9人に120万円を連帯しての支払い命令。一審・二審共に「いじめが自殺の原因」と認定したほか、高裁では初めて自殺の予見可能性を認定した[99]
  21. ^ 新潟県上越市のいじめ自殺事件は、1995年(平成7年)11月27日に上越市立春日中学校1年の男子生徒(当時13歳)が自宅のバスケットボードで首吊り自殺した事件。遺族は1997年(平成9年)11月26日に上越市に損害賠償請求訴訟を起こし、2002年(平成14年)3月29日に新潟地裁高田支部で棄却、原告控訴ののち2003年(平成15年)6月23日に東京高裁で、原告側が損害賠償請求を放棄する一方で、市側がいじめの事実を認め改めて遺憾の意を示す、いじめの早期発見・早期対応に努めるなどの条件で和解が成立[103]
  22. ^ 「ジェントルハートプロジェクト」は、2002年(平成14年)11月に武田さち子小森美登里らが設立した、「未来を生きる子どもたちのために、「やさしい心」と「いのち」の大切さを伝え、心と体に対する暴力である「いじめ」のない社会を実現すること」を目的とする団体[109][110]

出典

  1. ^ 采女 2005, p. 59.
  2. ^ 村元 2004, p. 94.
  3. ^ 采女 2005, p. 65.
  4. ^ 鎌田 2007, p. 24.
  5. ^ a b c 岩脇 他 2008, p. 18.
  6. ^ a b 鎌田 2007, p. 39.
  7. ^ 武田 2004, pp. 43–44.
  8. ^ 岩脇 他 2008, p. 238.
  9. ^ 岩脇 他 2008, pp. 188–191.
  10. ^ a b c もう だれもいじめないで 富山中1自殺で児童書中日新聞(山岸弓華、2020年8月20日)2023年11月27日閲覧。
  11. ^ a b c 岩脇 他 2008, p. 252.
  12. ^ a b 富山・いじめ自殺:訴訟の原告、岩脇さんが死去 生涯、根絶訴え続ける毎日新聞(2019年6月24日富山版)2023年11月27日閲覧。
  13. ^ a b c d 奥野 1997, pp. 38–42.
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  15. ^ 岩脇 他 2008, pp. 236–237.
  16. ^ a b c d e 岩脇 他 2008, pp. 2–3.
  17. ^ 采女 2005, pp. 59–60.
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  22. ^ 岩脇 他 2008, pp. 130–131.
  23. ^ 岩脇 他 2008, p. 230.
  24. ^ a b c 奥野 1997, pp. 60–62.
  25. ^ a b c d e f g 岩脇 他 2008, pp. 122–124.
  26. ^ a b c d e 采女 2005, p. 60.
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  30. ^ 奥野 1997, pp. 66–67.
  31. ^ 采女 2005, pp. 61–62.
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  33. ^ 岩脇 他 2008, p. 138.
  34. ^ 岩脇 他 2008, p. 140.
  35. ^ 采女 2005, pp. 62–63.
  36. ^ a b c d e 采女 2005, p. 63.
  37. ^ 岩脇 他 2008, pp. 142–143.
  38. ^ 鎌田 2007, p. 35.
  39. ^ 奥野 1997, p. 69.
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  41. ^ 鎌田 2007, pp. 31–32.
  42. ^ 鎌田 2007, pp. 29–30.
  43. ^ a b 奥野 1997, pp. 25–26.
  44. ^ a b c d 岩脇 他 2008, p. 6.
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  53. ^ 奥野 1997, pp. 32–33.
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  102. ^ a b 岩脇 他 2008, pp. 180–181.
  103. ^ 武田さち子「70 いじめ自殺 1995年11月27日 Aくん(13)」 『あなたは子どもの心と命を守れますか!』WAVE出版、2004年2月22日、156-161頁。 - 原文の章題は本名。
  104. ^ 岩脇 他 2008, pp. 183–184.
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  108. ^ a b c d e 岩脇 他 2008, pp. 188–189.
  109. ^ 『タウンニュース』2014年10月30日「NPO法人ジェントルハートプロジェクトの理事で、新著『遺書』を出版した小森 美登里さん」(2022年8月23日閲覧)
  110. ^ 武田さち子『あなたは子どもの心と命を守れますか!』(2004年、WAVE出版) - 425-426頁。
  111. ^ 岩脇 他 2008, pp. 190–191.
  112. ^ a b c 若林朋子「いじめ自死から32年、支援者が児童書を自費出版「困難から逃げていいよ」」Yahoo!ニュース(2020年8月30日)2023年11月27日閲覧。


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