室蘭大谷でのサッカー指導とは? わかりやすく解説

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室蘭大谷でのサッカー指導

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/02 22:02 UTC 版)

高橋正弘 (サッカー指導者)」の記事における「室蘭大谷でのサッカー指導」の解説

1966年昭和41年)に大学卒業して室蘭大谷高の保健体育教員採用された。同校は後にサッカー強豪校となるものの、当時サッカー部存在しなかった。高橋はあくまで教員として採用されただけで、採用時もサッカーの話はまったく出なかった。 高橋はこれに落胆することなく、自らサッカー部創設乗り出した体育授業生徒たちサッカーをさせ、素質のありそうな生徒片っ端から声をかけた。25人の部員集まり、「サッカー愛好会」が誕生した高橋部員たちに、試合時間90分間走り抜くための体力つけさせるべく、陸上部顔負け走り込みをさせ、学校面した砂浜を5キロランニングさせた。走るだけで体力奪われる砂浜に、半数部員脱落し愛好会発足翌日には、部員はわずか8人を残すのみとなった。それでも高橋は、主将部員退学寸前不良生徒勧誘させ、愛好会継続させた。 また学校にはサッカー設備一切なかったため、漁網や廃木でサッカーゴール作るなど、室蘭大谷サッカーは、まさに何も無いころから高橋部員たちの手作り作られていったその後部員たちと共に土日も関係なく毎日急な坂道を上っての6キロランニング冬季にはほかの部活終わった後に体育館ミニゲームと、厳し練習重ねた頑張った者には褒美ラーメン奢るなど、「飴と鞭」の指導であった愛好会発足から約3か月後、試合をしたいという部員たちの要望応え国体北海道予選室蘭支部大会出場登録した。このときの部員数は9人しかおらず、サッカー規定上の11人に満たない分は、他部から2人借用して出場であった初戦での相手日本全国ベスト8記録を持つ北海道室蘭工業高等学校であり、結果は0対13大敗であった。しかし、ハーフタイムでの助言後半戦部員動き役に立ったことから、ハーフタイム助言大切さはこの試合教訓になったという。後に高橋は、愛好会誕生後から数年のこの時期が最も一生懸命だった語っている。 1967年昭和42年)、大学時代親しかった女性と結婚した。同年サッカー愛好会サッカー部昇格した愛好会時代含めてずっと一勝もできていなかったものの、翌1968年昭和43年)にはようやく中学時代サッカー経験のある生徒入部し次第チームらしさが出来上がり公私ともに充実した日々送っていた。

※この「室蘭大谷でのサッカー指導」の解説は、「高橋正弘 (サッカー指導者)」の解説の一部です。
「室蘭大谷でのサッカー指導」を含む「高橋正弘 (サッカー指導者)」の記事については、「高橋正弘 (サッカー指導者)」の概要を参照ください。

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