学校の主体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 16:19 UTC 版)
1924年(民国13年)11月、孫文によって広東高等師範学校、広東公立法政大学、広東公立農業専門学校を合併し国立広東大学として設立。 1925年(民国14年)、広東公立医科大学を吸収合併、医学院を設立。 1925年(民国14年)3月12日、孫文死去。 1926年(民国15年)7月、名称を国立中山大学に変更。広東公立工業専門学校を吸収合併する、工業部を設立。 1927年(民国16年)、名称を国立第一中山大学に変更。 1928年(民国17年)、国立中山大学に名称を復す。 1930年代に文・理・法・工・農・医・教の7学部を有する。 1935年(民国24年)、大学院を設置し大学院生の募集を開始。 1937年(民国26年)、国立広東法科学院・広東省立勷勤大学工学院を吸収合併。 1938年(民国27年)、日中戦争の影響を受けて、雲南省澂江県などに移転。 1940年(民国29年)、広東省北部の楽昌県坪石などに再移転。 1945年(民国34年)、現在の広東省広州市へ戻る。 1949年(民国38年)10月1日、中華人民共和国成立、10月14日に広州市を中国人民解放軍が占領。台湾に移った中華民国政府は、1980年(民国69年)に高雄市鼓山区で国立中山大学として再建。 1952年、中国の大学教育体制の調整により、私立嶺南大学、華南連合大学と合併して、現在の広州南キャンパス(広州市海珠区康楽園)に移転、名称を中山大学に変更。哲学・言語学部を北京大学に移管、法政・経済学部を武漢大学・中南政法学院・中南財経学院に移管、人類学学部を中央民族学院に移管、天文学部を南京大学に移管、地質学部を中南鉱冶学院に移管、工学部を華南工学院に移管、農学部を華南農学院に移管、医学部を華南医学院に移管、師範学部を華南師範学院に移管。 1981年、対外漢語教学センターを設立。外国人のための中国語(普通話と広東語)の課程を設置。 1999年9月11日、広東省珠海市人民政府が土地と約2.7億元の施設を無償貸与し、中山大学がキャンパスを設けることに調印。2000年9月9日、珠海キャンパスが完成。 2001年10月26日、中山医科大学と合併、医学部を設立。中山医科大学は中山大学の広州北キャンパスとなる。25の学部を持つ新生中山大学となる。 2004年9月、広州東キャンパス(広州大学城キャンパス)を使用開始。 2017年9月、深圳キャンパスを設立。
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