姜弘植とは? わかりやすく解説

姜弘植

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 07:13 UTC 版)

北朝鮮映画」の記事における「姜弘植」の解説

カン・ホンシク(1902.12.9-1971.10.9.) 平壌市中区万寿洞で商人家庭生まれる。1917年3月高等普通学校2年課程終えると、歌手として活動揺籃期民族芸術映画にも俳優として参加1920年代日本渡りモダンダンス石井漠弟子入り日活から山本嘉一弟子として石井輝男芸名俳優デビュウし、『正義強者』、『鉄腕記者』、などの作品出演1925年李慶とともに鶏林映画社を組織カップ作家だった沈薫台本を『暁の頃』(1927)に申一仙とともに主演。またこの映画主題歌歌いコロンビアレコード録音した1930年代歌手活動舞台俳優並行1939年に全昌根とともに高麗映画社を組織。『洪吉童』(1932)、『荒蕪地』(1936)、『福地萬里』(1940)、『家なき天使』(1941)、『太陽息子』(1943)などに出演独立後の1947年2月平壌設立され国立映画撮影所後の朝芸術映画撮影所)の最初演出家として参加し初代副所長就任した。全東民、閔貞植、千尚仁とともに記録映画三十八度線』を撮る。独立後の朝映画第一作我が故郷」(49)を監督する。他に『警戒所を守る人々』(1950)、『飛行機狩り』(1953)、『幸福の道』(1956)、『愛情』(1959)、『幸福な街』(1959)、『赤い信号弾』(1960)、『抗争序曲』(1960)、『青年作業班長』(1962)などを監督。また俳優として『海が呼んでいる』(1956)で主役、また『終りなき戦闘』(1957)や『崔信の一家』(1967)にも出演耀徳強制収容所死亡息子のカン・ヒョソンは映画監督、カン・ヒョスンは音楽家、カン・ヒョジェは俳優

※この「姜弘植」の解説は、「北朝鮮映画」の解説の一部です。
「姜弘植」を含む「北朝鮮映画」の記事については、「北朝鮮映画」の概要を参照ください。

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