朝鮮芸術映画撮影所
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1947年2月6日、北朝鮮臨時人民委員会決定178号「国立映画撮影所設置に関する決定書」にもとづき、国立映画撮影所の創立(平壌郊外の南兄弟面上堂洞)が決定。ソ連や中国の協力で国立映画撮影所として設立。初代所長は朱仁奎、副所長に姜弘植、事務長に秋民が就任。1949年、独立後最初の劇映画『我が故郷』を製作。1957年に朝鮮芸術映画撮影所に改称。総敷地面積が100万平方メートル、野外撮影場が70万平方メートルの規模をもつ。1982年4月に建立された野外撮影街(オープンセット街)は、外国人の観光コースにもなっている。日本との合作としては「プルガサリ」(1985、日本公開)、「高麗女人剣士」(1997、日本未公開)がここで撮影された。
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