委員、元委員47名の共同意見書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:48 UTC 版)
「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「委員、元委員47名の共同意見書」の解説
56回総会の2年後、1963年9月4日付で、憲法調査会の有志17名が連名で高柳会長あてに「憲法改正の方向」という文書を提出、次いで、同会の委員、元委員計47名が「憲法制定の経過に関する小委員報告書」の「結論」に反対する「共同意見書」を提出している。「共同意見書」は、次のように述べる。 われわれは、日本国憲法制定の経過を考察するに、日本国憲法は、実質的に、日本国民の自由な意思で制定された憲法であると認めることはできない。すなわち、連合軍総司令部より憲法草案が交付された時点の客観情勢、特に手交された日本側の心理状態、公職追放や相当数の未帰還日本国民の存在、政府原案の作成及び議会における修正がいずれも連合国総司令部の承諾を必要としていた事実等に照らし、憲法制定に関する正常なる手続によったものとはいえず、自由意思の表明の著しく困難な状態で作られたといわざるを得ない。第2次世界大戦以後出現した各国の憲法の中に、外国軍隊の占領下において、憲法の修正又は制定を禁止する規定を設けるものがあるが、日本の事態は正にこの規定の該当する外国による軍事占領下の、国民の自由意思の保障されない状態下における憲法制定であったと認めざるをえないのである。しかしこのことは、制定過程における瑕疵を指摘するのであって、この不幸な事態がいかなる事由で招来され、又、その制定の内容が将来いかなる意味をもったかということは、別個に評価を要することである。 われわれは、民主憲法の主要な一要件として、制定手続きの自主性を重視する見地からこの事実を事実として指摘するものである。 — 委員、元委員計47名の「共同意見書」より これに先立つ1959年開催の憲法調査会総会(1月の第24回及び2月の第25回)で、松本が自由党でした「向うのいうことを呑めば出さない、呑まなければ出す」という証言の評価を巡り、高柳会長と中曽根委員等の間で激しい応酬が交わされた。高柳は渡米調査の結果から第24回総会で、「呑めば出さぬ、呑まねば出すという松本氏の解釈は、全然誤解であったものとすべきものである」と報告したが、これに対し中曽根は、「松本博士の口述も〔ホイットニー証言と〕同じくらいの値打」「あるいはもっと大事な値打を持っておるくらいの、平等の資料」である。「そのときの客観的情勢の下に御本人はそう感ぜられたのであって、その感ぜられたことまでもアメリカ側の資料によって否定することは行き過ぎ」であり、高柳は「アメリカ側の態度に立ったような見方が非常に強」く、「松本口述に関する部分については自分は納得できない」と述べた。また第25回総会では、「なぜ松本さんのいうことも、そっくり信用しないのか」「向うのほうの言うことを、そんな正直な男であると信用するならば、なぜ松本さんの言うことも、そっくり信用しないのか。(略)向うの連中が自分のやったことを、あとで弁護するということも、歴史的にもよくあることで当たり前のことです。人の国の憲法を強制して作らしたなんて言うバカは一人もおるはずはないのです。(略)そういう点について、アメリカ側の発言、アメリカ側の人物については、わりあい無条件にこれを呑んで、日本側については相当割引しているという態度を私は遺憾に思うのであります」と述べた。
※この「委員、元委員47名の共同意見書」の解説は、「GHQ草案手交時の脅迫問題」の解説の一部です。
「委員、元委員47名の共同意見書」を含む「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事については、「GHQ草案手交時の脅迫問題」の概要を参照ください。
- 委員、元委員47名の共同意見書のページへのリンク