奴隷の購入
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「ポルトガルの奴隷貿易」の記事における「奴隷の購入」の解説
ポルトガルでは新たに奴隷を購入する際、以下の5つが正当な事由とされ、それ以外の理由で奴隷とされたものは解放されることが求められた。 犯罪の刑罰 正戦(聖戦とは異なる。防衛戦争を指す)による虜囚 志願奴隷(年季奉公人) 極端な貧困など親がやむを得ず子を売る 奴隷の相続 中世日本では人身永代売買が広く行われており、年季奉公が一般的になったのは江戸幕府以降だが、ポルトガル人が日本で購入した奴隷については、志願奴隷(数年で契約期間が終了する年季奉公人)が記録されている。 カスティーリャ王アルフォンソ10世の時代に編纂された法典、ラス・シエテ・パルティーダ(Las Siete Partidas)によると志願奴隷を購入するには5つの条件を満たす必要があった。 奴隷になることに自由に同意した 合意した代価を受け取った 本人が自分の自由を認識していた 買い手が奴隷にされる状態を信じていた 売られた人が20歳以上であった 日本人の志願奴隷制度(年季奉公制度)では、マカオへの渡航のみを希望したり、ポルトガル人に雇われることができず、自らを売った者などがいたという。日本人の志願奴隷(年季奉公人)の中にはマカオに上陸するなり、明の管轄する領土に移動して労働契約を一方的に破棄する事例が続出した。この結果、多くのポルトガル人は以前と同じ量の日本人奴隷を買わなくなったという。 日本の社会情勢はこうした奴隷貿易に有利であった。内戦の資金を求めて軍事指導者が要求した増税は、国民の貧困化を招き、多くの日本人が奴隷制を生き残るための代替戦略として捉えた。
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奴隷の購入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/05 08:36 UTC 版)
奴隷は戦争捕虜や奴隷が産んだ子供が主であったが、中にはローマ市民を含む自由人が経済的理由で自らを売って奴隷になったり、同様の理由で売られた子供が奴隷となることもあった。海賊によって拉致されたり、捨てられたりして身寄りのない子供が奴隷となって売られることもあった。なお、自由人である主人が奴隷女に産ませた子供は法律上奴隷であった。奴隷市場で取引される成人男性の奴隷1名の価格は約1000セステルティウス、女性の場合は約800セステルティウス程度であり、これはローマで1家4人の年間の生活費(500〜1000セステルティウス)と同程度の価値であったとされる。40歳を超えた男性や14歳以下の少年は約800セステルティウス、老人や幼児は400セステルティウス程度であったとされる。この価格はアウグストゥス帝が奴隷取引に2%の税を課した時の税収(年間500万セステルティウス)ならびに、ディオクレティアヌス帝の最高価格令にある奴隷と小麦の交換比率を元に推定したものである。なお、奴隷の価格は需給関係で変化し、大規模戦争に勝利し捕虜が大量に供給されたら下がるなどの変化があった。
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