大衆文化の中に見られるアーサー・マレー
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「アーサー・マレー」の記事における「大衆文化の中に見られるアーサー・マレー」の解説
アーサーとキャサリン・マレー夫妻は、熟練してエレガントある一方で、カッスル夫妻やフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのようなダンサーの称賛を得ることはなかったが、成功したビジネスのために、その名前は、社交ダンスやダンスレッスン、特に古き良きダンスと同義語となった。彼らの名前は、歌、映画、テレビ番組等に登場し、誰もが思い浮かべられるものとなった。 ミュージカル映画『艦隊入港 The Fleet's In』(1942年)の中でベティ・ハットンが歌い大ヒットした「アーサー・マレーは急いで私にダンスを教えた Arthur Murray Taught Me Dancing in a Hurry」がある。この曲は、ジョニー・マーサー(Johnny Mercer)とヴィクター・シュレツィンガー(Victor Schertzinger)によって書かれた。 映画『青空に踊る』(1943年)で、フレッド・アステアとジョーン・レスリーがダンスをした後、ジョーンが「どこでこんなダンスを習ったの?」と聞くと アステアは「アーサー・マレーだよ」と答えるシーンがある。 1946年、キューバン-アメリカン ミュージシャンのデジ・アーナズは、映画「キューバンピートCuban Pete」に主演し、同時にレコーディングした同名の歌の中で、「キューバのピートはアーサー・マレーのように急いであなたを教えていないと "Cuban Pete doesn't teach you in a hurry like Arthur Murray" 」 と歌っている。この歌は、映画「マスク」でも使用されている。 アメリカのシチュエーション・コメディ "アイ・ラブ・ルーシー"のエピソード"Little Ricky Gets a Dog" (1957)の中で、ルーシーがリッキーに「アーサー・マレーからメキシカン・ハットダンシングのレッスンを受けている。」と言っている。 1954年にアメリカで公開されたロマンチックコメディ映画(日本では未公開)『Phffft!』(監督:マーク・ロブソン 出演:ジャック・レモン、ジュディー・ホリデー、キム・ノバック)の中で、 ジャック・レモンの役柄である(ロバート トレーシー)が、ニューヨークのアーサー・マレーダンススタジオに入っていき、ダンスの先生のメリー・アンダースと踊っている姿が見られる。 また劇中では、レモンとホリデー(ニーナ・トレーシー)がナイトクラブでルンバとマンボを踊る古典的なダンスシーンも見られる。映画の後半に、レモンがホリデーの書いた使用済み小切手を調べるシーンがあるが、そこには"...thirty-nine dollars and forty cents to Arthur Murray Dance Studio"と書かれている。 1960年公開の映画『アパートの鍵貸します』(原題:The Apartment :監督:ビリー・ワイルダー 出演:ジャック・レモン、シャーリー・マクレーン)では、ジャック・レモンの役柄である(C.C.バド・バクスター)は、アーサー・マレーについて言及している。バドはフラン(シャーリー・マクレーン)に、自分が現在アーサー・マレーでレッスンを受けており、後ほど"彼のことを全く知らない"と明言しているマージー(ホープ・ホリデー)に次のように自己紹介をし、『失礼、C.C.バクスターです。常務取締役で、アーサー・マレーの卒業生であり、恋人です』と言っている。 1987年の映画『ダーティー・ダンシング』(Dirty Dancing)で、ジョニー・キャッスルが、丸太の上でバランスをとりながらベビーダンスを教えるシーンで、アーサー・マレーが新しいダンスインストラクターを探していた時に、アーサー・マレースタジオでトレーニングを受けたと言っている。 1995年公開の映画『アメリカン・プレジデント』では、シドニー・エレン・ウェイドがダンス中に大統領に「踊り方を知らないんです。」と言うと、大統領が「それならアーサー・マレーに。6レッスンで踊れるよ。」と答えた。 1978年のフォークシンガーのスティーブ・グッドマンのフォークソング「ダンスを習いたいかい? Would You Like to Learn to Dance?」の中でも登場する。 最初の句は「僕らは床の上にアーサー・マレーのパターンを描ける。 We can draw the Arthur Murray patterns right here on the floor」という引用を含んでいる。 イギリスのフォークシンガーで作家のリチャード・トンプソンの「涙が染めた手紙 Tear Stained Letter」はアーサー・マレーを引用している。最初の一節には「彼女はアーサー・マレーのように私の頭の上で踊った…」という行が含まれている。この曲は1983年のアルバム「やさしさの手 Hand of Kindness」に収録されている。 フォーク・ロックミュージシャンのヴィック・チェスナット(Vic Chesnutt)の1998年のアルバム「セールスマンとベルナデット The Salesman and Bernadette」の中の8曲目に「アーサー・マレー」というタイトルの曲が収録されている。 1950年代初頭のアーサー・マレーのダンスインストラクターの中には、全国的なダンスコンテストで一等賞を受賞した、俳優のD.ジェイミー・ケネディがいた。 彼は1956年6月17日、アメリカで一番長いゴールデンタイムのテレビ番組であるのCBSのパネルゲームショー、What My My Lineのエピソードでゲストとして登場した。 フレッド・アステアの自伝「Step in Time」には、アステアがボールルームダンスを習いたいというファンに宛てて「私が何百何千と受け取っているファンレターには、長年の個人的知り合いであるアーサー・マレーの所に行くよう勧める返事を時折送ったものだ」というくだりがある。
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