大橋史典
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大橋 史典(おおはし ふみのり、1915年1月10日 - 1989年9月20日)は、日本の俳優、特殊技術専門の造形家、スーツアクター、特技監督、映画監督であり、日本特撮株式会社(日本特撮K.K.)の元代表取締役[1][2][3]。本名は大橋 幸利(おおはし ゆきとし)[1][2][3]。旧芸名は大橋 行利(読み同じ)など[3]。
注釈
- ^ 1996年(平成8年)に発行された『日本映画人名事典 男優篇 上巻』では、出身地は「愛媛県長瀬町」としている[1][2]が、同町は存在しない。
- ^ うしおそうじは、『スペクトルマンvsライオン丸』(太田出版・1999年)のインタビューで[要ページ番号]、実際に特許を取ったかどうかを訝っている。
- ^ このことに関しても開米は、大橋がスタッフとは別に独自で歯医者から雪男の歯を調達したり、義足店で高下駄式の足を注文していたことを明かしたうえで「悪いけど使い物にならなかった」と述べている[4]。
- ^ 当時の社報『東宝ニュース』では本作のために雪男役のオーディションが行われ、当選したとされているが[5]、『東宝ニュース』で伝える相良の経歴は大橋のものと一致している。黒田達夫は 『ファンタスティックコレクションNO17 ピープロ特撮映像の世界』(朝日ソノラマ)でのインタビューで「大橋さんが自分で縫いぐるみに入ったんです」と証言している[要ページ番号]。書籍『東宝特撮映画全史』では、相良が美術学校の出身であり、美術の手伝いも行っていたと記述している[5]。
- ^ 当時映画脚本家だった。
- ^ この場合は「実物大の蝉鯨」という造形であり、水圧を考慮して鉄骨を入れたため、やむを得ない部分があった。[独自研究?]
出典
- ^ a b c d e f g 『日本映画俳優全集 男優篇』キネマ旬報社、1979年、164頁。
- ^ a b c d e f g 『芸能人物事典 明治大正昭和』 日外アソシエーツ、1998年。
- ^ a b c d e f g h i j k 『日本映画人改名・改称事典』図書館刊行会、2004年、62-63頁。
- ^ a b c d e f g h i j k ザボーガー&ピープロ 2011, pp. 86–87, 文 友井健人「特撮界の怪人 大橋史典」
- ^ a b 東宝特撮映画全史 1983, pp. 112–113, 「東宝特撮映画作品史 獣人雪男」
- ^ a b テレビマガジン特別編集『巨大ヒーロー大全集』(1988年・講談社) p.224
- ^ ザボーガー&ピープロ 2011, p. 85, 文 但馬オサム「ピー・プロワークス3 アニメ合成」.
- ^ ザボーガー&ピープロ 2011, pp. 82–84, 取材・構成 編集部「小嶋伸介 『マグマ大使』『怪獣王子』特撮監督」.
- ^ 竹書房/イオン編 編『超人画報 国産架空ヒーロー40年の歩み』竹書房、1995年11月30日、39頁。ISBN 4-88475-874-9。C0076。
- ^ ぼくらが大好きだった特撮ヒーローBESTマガジン 2009, pp. 149, 「造形師 品田冬樹の日本特撮【風雲】偉人伝その1 大橋史典」
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