大同電力の解散
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1939年4月1日、予定通り日本発送電株式会社が発足。強制出資による同社への設備出資が同日付で実行に移され、他の作業も事前決定の通りに実施された。そして一連の作業が完了した4月2日、大同電力株式会社の解散も実行された。かくして大同電力は1919年の大阪送電会社設立以来の20年にわたる歴史に幕を閉じたのである。 最後の社長は福澤桃介にかわって1928年(昭和3年)6月に就任していた2代目の増田次郎。副社長はおらず、1932年(昭和7年)に取締役から昇格した藤波収と、1933年(昭和8年)に日本興業銀行から派遣された永松利熊の2名が常務取締役で、それぞれ経営方面と経理方面を担当していた。社長・常務を含め取締役は14名いたが、解散後清算人となった増田ら計3名を除いて全員3月末に辞任の手続きをとっている。大同の解散により、社長の増田は日本発送電初代総裁に就任、常務の藤波・永松も同社の常務理事に転じた。 日本発送電への設備強制出資の対価として、大同電力には同社株式204万6314株(額面50円全額払込済み、払込総額1億231万5700円)が割り当てられた。200万株以上の交付を受けたのは設備を出資した計33事業者のうち大同と東京電灯・日本電力の3社のみで、東京電灯に次いで2番目に多い交付株数である。この強制出資資産を含む日本発送電へと委譲する資産の価格と、同社へ継承させる負債の価格との差額、すなわち大同が受け取る金額は総額1億7673万5113万円であり、このうち大同の払込資本金と同額の1億6339万5200円は日本発送電株式の交付により、残り1333万9913円は現金交付によりそれぞれ決済された。よって、大同へと交付された日本発送電株式は計326万7904株である。日本発送電の株式はすべて額面50円全額払込済みであったが、大同電力の株式は一部に額面50円のうち30円払込みの新株が残っていたので、旧大同電力の株主に対しては大同の旧株(額面50円全額払込済み)1株につき1株、新株5株につき3株の比率で日本発送電株式が配分された。 日本発送電株式以外の残余財産分配は2度に分けて実施され、旧株1株につき1円27銭5厘、新株1株につき76銭5厘の割合で株主に現金が配られた。そして分配終了により翌1940年(昭和15年)5月14日、清算結了総会が開催され大同電力は完全に消滅した。
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