大仁田厚とのトラブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 10:16 UTC 版)
「セッド・ジニアス」の記事における「大仁田厚とのトラブル」の解説
2002年、大仁田厚との対戦が予定されていたが、大仁田が試合直前に一方的に契約を破棄したため、代役のタイガー・ジェット・シンとシングルマッチを行い、プロレスの裏側を暴露した本「流血の魔術 最強の演技」を書いた直後のミスター高橋を乱入させた。その後、大仁田相手に約1000万円の損害賠償を求める民事訴訟を提起し、大仁田が「2003年中の引退」、「タッグマッチでジニアスと試合する」とのことで損害賠償金支払いではなく和解試合をすることで裁判は和解。(大仁田は引退しなかった)2003年4月27日、双方の弁護士がリングサイドでリング上をにらむ異様な雰囲気の中で両者はタッグマッチを行う。(セッド・ジニアス、グラン浜田vs大仁田厚、矢口壹琅)試合後、納得できないジニアスが大仁田に詰め寄ると、大仁田議員の公設第一秘書を務める中牧昭二らと乱闘が起こり、中牧公設第一秘書が土足の革靴でジニアスの眼球を蹴り飛ばしジニアスは負傷。大仁田側には刃物で折原昌夫を脅して刑事処分を受けた二瓶一将もいた。ジニアスは暴行傷害による約1500万円の損害賠償請求訴訟を東京地裁に起こす。その後、メールによって大仁田から脅迫を受けたとして告訴の意向を表明すると、大仁田も逆告訴の姿勢を見せ、泥仕合の様相となった。2006年4月28日の東京地裁判決は、大仁田議員の中牧公設第一秘書への使用者責任も認め、暴行した中牧秘書と大仁田議員2人に78万円の賠償を命じた。しかし、この際「勝敗はあらかじめ取り決めがあり、ジニアスが大仁田にいきなり殴りかかる行為は事前の取り決めに反する行為であり、プロレスリングでは事前の打ち合わせに反する攻撃は許されない」としてジニアス側の落ち度も認め、プロレスは事前に勝敗を決めて行われることが国から認定されて世界中に報道され、世間から注目を集めた。この結果に納得がいかない大仁田側は東京高裁に控訴したものの、同年10月25日東京高裁は1審判決を支持。大仁田側は最高裁に上告するも、2007年3月15日、上告棄却により原審判決が確定した。2006年には大仁田厚との裁判を綴ったドキュメンタリー「バッジを外せ!!リングを降りろ!!」を出版し、芸能リポーター梨元勝の司会で出版記者会見を行い、ワイドショーだけでなく民放各局、NHKのニュースでも流された。
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