大仁田劇場とは? わかりやすく解説

大仁田劇場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 02:37 UTC 版)

真鍋由」の記事における「大仁田劇場」の解説

1999年長州力インディーズ団体批判呼応する形で 、大仁田厚新日本プロレス参戦果たした。その大仁田を、当時ワールドプロレスリング」でジュニアヘビー級試合などサブ実況担当だった真鍋が約1年余にわたり追い続けた一連の動きが、「大仁田劇場」と称され注目集めた最初インタビューでは、激高する大仁田にいきなり蹴り入れられたり平手打たれるなどの洗礼受けた以後真鍋は度々理不尽な扱い翻弄されながらも、それにもめげず事ある毎に大仁田食らいつき、直接新日本プロレスとは関係ない大仁田厚主催興行にまで姿を現した。 次第二人絡みは「大仁田劇場」の名で専門誌欠かさず細かい顛末載るほどの人気を博すようになり、当のワールドプロレスリング」でも名物的な扱いを受けるようになったゴールデンバラエティ番組でも取り上げられアナウンサー仲間から当初は「真面目だけが取り柄」「真面目を絵に描いたよう人物」という評価だった真鍋が「こんなに面白い人だったの!?」「信じられないと言われていた。 当初真鍋は、「邪道」を貫く大仁田対し飽くまで新日本プロレス擁護する立場だった(実際に真鍋は「私は新日本プロレス愛している」と大仁田面前発言して大仁田呆然とさせた)。しかし最後方には、それまで散々な目に遭わせてきた真鍋に対して「安かスーツだけどな、これを着て長州戦の)実況をしてくれ!!」と、大仁田スーツプレゼントするなど、まるで二人の間で不思議な友情すら芽生えたかのように感じさせる展開となった大仁田にとっては、長州との電流爆破マッチ実現への到達完結見た「大仁田劇場」だったが、一方で真鍋も、当初大仁田対し気後れをしていたのが、次第大仁田真正面からきっちり言葉を返すようになっていた(「電流爆破見たいです」と言うまでになった)。 後にこの「大仁田劇場」はみちのくプロレスロッキー・サンタナニセ大仁田となり「ニセ大仁田劇場」と題してこの展開を真似た展開を繰り広げ真鍋真似たニセ真鍋演者不明)まで登場した

※この「大仁田劇場」の解説は、「真鍋由」の解説の一部です。
「大仁田劇場」を含む「真鍋由」の記事については、「真鍋由」の概要を参照ください。

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