大仁田劇場
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1999年、長州力のインディーズ団体批判に呼応する形で 、大仁田厚が新日本プロレスに参戦を果たした。その大仁田を、当時「ワールドプロレスリング」でジュニアヘビー級の試合などサブの実況担当だった真鍋が約1年余にわたり追い続けた一連の動きが、「大仁田劇場」と称され注目を集めた。 最初のインタビューでは、激高する大仁田にいきなり蹴りを入れられたり平手で打たれるなどの洗礼を受けた。以後も真鍋は度々理不尽な扱いに翻弄されながらも、それにもめげず事ある毎に大仁田に食らいつき、直接新日本プロレスとは関係ない大仁田厚主催興行にまで姿を現した。 次第に二人の絡みは「大仁田劇場」の名で専門誌に欠かさず細かい顛末が載るほどの人気を博すようになり、当の「ワールドプロレスリング」でも名物的な扱いを受けるようになった。ゴールデンのバラエティ番組でも取り上げられ、アナウンサー仲間から当初は「真面目だけが取り柄」「真面目を絵に描いたような人物」という評価だった真鍋が「こんなに面白い人だったの!?」「信じられない」と言われていた。 当初の真鍋は、「邪道」を貫く大仁田に対し、飽くまで新日本プロレスを擁護する立場だった(実際に真鍋は「私は新日本プロレスを愛している」と大仁田の面前で発言して、大仁田を呆然とさせた)。しかし最後の方には、それまで散々な目に遭わせてきた真鍋に対して「安かスーツだけどな、これを着て(長州戦の)実況をしてくれ!!」と、大仁田がスーツをプレゼントするなど、まるで二人の間で不思議な友情すら芽生えたかのように感じさせる展開となった。 大仁田にとっては、長州との電流爆破マッチ実現への到達で完結を見た「大仁田劇場」だったが、一方で真鍋も、当初は大仁田に対し気後れをしていたのが、次第に大仁田に真正面からきっちりと言葉を返すようになっていた(「電流爆破、見たいです」と言うまでになった)。 後にこの「大仁田劇場」はみちのくプロレスのロッキー・サンタナがニセ大仁田となり「ニセ大仁田劇場」と題してこの展開を真似た展開を繰り広げ、真鍋を真似たニセ真鍋(演者不明)まで登場した。
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