壁の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 05:09 UTC 版)
壁の建設は一気に行われたわけではなく、数度にわたって造り替えられた。特に初期の壁、ブロックを積み上げた文字通りの「壁」はベルリン中心部の一部にすぎず、郊外の田園地帯・牧草地帯・森林地帯・湖沼では、巻いた有刺鉄線の仕切りが二列に並べられただけのものであった。この二列は間隔が70m開いた部分もあれば、地形や住居の接近如何によってかなり狭まった部分もあった。 時代が下るにつれて壁はより頑丈になり、1976年に行われた改造(4度目の改造のため、"第四世代"と呼ばれた)によって壁の建設はほぼ完成した。最終段階の壁では高密度の鉄筋コンクリート製のものが二重に建てられており:216-217、その2枚の壁の間は数十メートルの無人地帯となっており、東側から順番に、金網の柵(アラームつき)、道路(国境警備隊パトロールのため)、柵と道路の間に一定間隔の監視塔(東西ベルリン間48キロの区間だけで302カ所)、柔らかい土のベルト地帯(常に均されていて警備隊でも入れず、何者かが通ると痕跡が残る。夜は無数の照明に照らされている)、段差や対車輌障害物(車での突破を防ぐため)が仕掛けられていた。東ドイツ当局が監視の目を光らせており、壁を越えようとするものがいればすぐに分かるようになっていた:216-217。 壁の高さは3.6m、高いところで4.2mで、最上部が半円形にされており、乗り越えようとしても絶対に摑まる所が無く引っ掛ける所も無い状態であった。一番東側の壁から西側の壁までの距離は60mを超え、警備隊員と番犬以外は全く無人地帯で隠れることが出来ない恐ろしいほど殺伐とした光景の一帯であった:217-218。また、1970年には仕掛けケーブルに触れると散弾を発射する対人地雷SM70(英語版)(自動発砲装置(ドイツ語版)と呼ばれ、クレイモア地雷と原理において同じ)も設けられたものの、被害者に大きな苦痛を与えると非難されたため1984年に撤去された。 最終的に壁の総延長は155km、無人地帯の総面積は49,000m2から55,000m2に及び、ほぼ1つの町の総面積に等しいものであった。壁は東側からは幅100mの無人地帯のため立ち入ることができなかったが、西側からは接近することができたため、壁の西側では壁の建設を非難し撤去を求める政治的な落書きが出現するようになった。やがてさまざまなメッセージや色鮮やかなストリートアートが壁の西側を彩った。
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