増備時の変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 23:45 UTC 版)
当形式が計画された当時の京成の経営状況は極めて厳しく、経営陣は銀行からの派遣者でありひいては身売りまで囁かれる状況であり、旧型車の代替までとても手が回らない状況であった。1982年(昭和57年)6月に3608編成を製造以後の6両編成3本は輸送力増強の純増車として製造したため導入ペースもきわめて遅く、営業運転開始から4年経った1986年度時点でも6両編成3本計18両の少数派形式でもあった。 昭和末期には経営状況も好転し、1987年(昭和62年)度は青電形式として残った210系(2100形・210形・2000形の総称)4両編成5本の代替ならびに6両編成化に着手し、4本導入した。製造開始から5年以上経ち初めて複数編成の新造となった。最終増備は1989年(平成元年)7月の輸送力増強用となった。 上記の経緯から3600形は製造両数が少なく、基本同一設計で新造したが、年代別の差異は以下の通り。 1986年(昭和61年)落成編成から、網棚を樹脂パイプからステンレスパイプに変更、また室内照明で1両あたり4基の充電式予備蛍光灯(停電時の)を設置する代わりに予備白熱灯を廃止した。後につり革増設試験が行われたため、他編成との差異が目立っている。 1987年(昭和62年)落成編成から、同年春の3200形モハ3268・モハ3265の更新時に試用された電子警報器を本格的に採用。後に3618編成も変更された(1994年11月施工)。 1988年(昭和63年)落成編成より側灯と尾灯がLED化され、客室内の客用扉上部は手の巻き込み防止の張り出しを設けた。 3668編成では、空気圧縮機を従来の直流電源のC-2000-Mに代わり、国鉄201系電車などで実績のある交流電源のAC-2000-Mを試用し、1989年落成編成で本採用された。 1989年6月落成編成から選択扉開閉装置が搭載された。この機能は、既存編成にも追設されている。
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