増備後の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 01:39 UTC 版)
本系列の外観は一見、画一的であるが、雨樋・屋根周辺処理・非常口のドア枠・側面行先表示器の横幅の相違で、多様なバリエーションが存在する。 当初の行先表示器は前面が手動式、側面は小形の電照式種別表示器であり、「快速・急行」のどちらかを点灯するもの(各停は消灯)であった。10次車より側面行先表示器が大型化され、その後1980年(昭和55年)より前面・側面ともに電動式の方向幕への改造・使用が開始された。当初は8500系編成から復帰した先頭車を両端に配した編成から実施され、それ以外の編成でも順次改造が進み、1985年(昭和60年)までに全車の電動化が完了した。 田園都市線用として登場した5次車は(8043F - 8051F)4両編成で落成した。該当編成に組み込まれたデハ8100形8143 - 8147は離線対策としてパンタグラフ2基(通常は1基)搭載で製造され、主抵抗器も通常より容量が大きいものに変更された。5両に増車された後もしばらくは2基のままであったが、後に下り方のパンタグラフが撤去されている。 デハ8200形8254・8255号はステンレス軽量車体の試作車である。この2両は、車体側面のコルゲート板がなく、ローラープレスによるビードが入り、裾に大きなアールの絞りがあることで容易に判別が付いた。新造時には新形式のデハ8400形8401・8402号とされたが、1M車デハ8400形の製造に伴い8281・8282号に改番、さらに8090系の増備に伴い再改番された。この車両の実績を踏まえた量産車として、8090系が製造された。 8090系の量産以降(12-3次車以降)に製造された車両は、外見はそれほど変わらないものの、軽量ステンレス車となった。屋根の断面形状が変更され、肩部にアールが付いたほか、屋根の絶縁材の範囲が狭まり屋根肩の一部がステンレスむき出しになった。しかし編成美の関係から14次車以降は再び屋根肩にも絶縁加工が施された。この時期に先頭車は製造されていないため、このタイプの車両は中間車のみ存在していた。 一時期、8500系の新造両数を抑制するために田園都市線の同系に組み込まれて運用されていた車両が存在した。中間車の代用として使用された先頭車両(8033 - 8044)には晩年まで貫通幌を取り付けていたボルトの跡が残っていた(更新車は撤去された)他、8033 - 8042には半蔵門線用の誘導無線アンテナ設置跡があった。これらは後に東横線などの8000系編成に復帰している。 当初は、扉間の座席を8人掛け、車端部の座席を4人掛けとしたが、1980年製の車両からはそれぞれ7人掛けと3人掛けに変更され、踊り場スペースと1人あたりの座席幅が拡大されている。
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