基地汚染
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 18:30 UTC 版)
2002年、米軍から恩納サイトを引き継いだ恩納分屯基地からPCBを含んだ汚泥のドラム缶1036本216トンが発見された。恩納分屯基地には、1996年3月19日、米軍の恩納通信所の解体工事中に発見されたPCBや水銀、カドミウム、鉛、ヒ素等、104トンを一時的に受け入れ保管しており、膨大な基地有毒物質の保管場所となった。米海兵隊基地跡地から見つかったものとあわせ、PCB含有汚泥管理のための保管庫の設置等費用として、2010年までの時点で合計で約2億1800万円の費用がかかっていたことが明らかになった。 2013年、航空自衛隊は恩納分屯地で保管していたPCBなどを福島県内の処理施設で処分するため、搬出作業を始めた。
※この「基地汚染」の解説は、「恩納サイト」の解説の一部です。
「基地汚染」を含む「恩納サイト」の記事については、「恩納サイト」の概要を参照ください。
基地汚染
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 14:54 UTC 版)
1973年 昭和48年4月 - 廃油流出により沿岸帯が広範囲にわたって汚染される 1974年 昭和49年12月19日 - 野積みのまま放置されていた薬物が容器の腐食で海へ流出し沿岸一帯を汚染し、多量の魚類が死滅。 1975年 昭和50年1月 - 薬物の流出により沿岸一帯が広範囲にわたって汚染される。8月 - 薬物流出牧港補給地区内の自動車整備場から車体洗浄用薬剤が流出し海岸一帯を汚染。同クリーナーの残液から 高濃度の六価クロム、鉛、カドミウム等の有害物質が検出される。 1976年 昭和51年2月12日 - 害虫駆除中の従業員が、帰宅後意識不明に。体内から、大量の臭化メチルが検出。 1986年 魚の大量死が発生。 1996年 平成8年2月3日 - 民間の建設作業員掘削作業中に刺激物発生。 1997年11月13日 - 倉庫で火災が発生し、次亜塩素酸カルシウムが燃焼した。 2009年 平成21年4月22日 - 整備中車両から油圧オイル11リットル流出。4月27日 - 倉庫の汚水管から異臭のする液体が漏出、日本人従業員が不調を訴える。 2015年のジョン・ミッチェルによる情報公開請求で1993年7月に米軍が作成した「キャンプ・キンザーの有害物質による汚染の可能性に関する資料」の内容が明らかになった。1986年当時、製造・販売が禁止されていたクロルデン、ディルドリン、ポリ塩化ビフェニール (PCB) に汚染された油類などが「高いレベルで土壌や水、魚に含まれていた」と記載されている。
※この「基地汚染」の解説は、「牧港補給地区」の解説の一部です。
「基地汚染」を含む「牧港補給地区」の記事については、「牧港補給地区」の概要を参照ください。
- 基地汚染のページへのリンク