埋蔵金は存在しないという説(埋蔵金架空説)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 01:15 UTC 版)
「徳川埋蔵金」の記事における「埋蔵金は存在しないという説(埋蔵金架空説)」の解説
もともと幕末期の江戸幕府が大赤字に見舞われていたため埋蔵金にあてがうだけの金銭・蓄財が存在するはずがない、という説である。実際に徳川埋蔵金は多くの発掘計画が各地で行われているが、その殆どが成果を出しておらず、埋蔵金自体も発見されていないことから架空説も根強く存在する。以下にその理由を述べる。 江戸幕府は初代将軍以降、数々の城や寺社の普請、江戸を見舞った数度の大火被害の復興資金などの支出が続いた。5代将軍綱吉の治世頃には既に財源が枯渇しており、不足分は貯蔵してあった蓄財を切り崩して賄われた(「久能山御蔵金銀」など)が、それもやがて使い切った。農村体型を基本とする江戸幕府の財源はこれらの支出に耐えられず、貨幣改鋳を度々行わなければならないほどの事態に陥っていた。その後、新井白石による正徳の治や、8代将軍吉宗による享保の改革などの倹約令や税収見直し、または田沼意次による重商主義的な改革(「田沼時代」参照)など財政改革が幾度となく実施されたが、それでも江戸幕府の財政難は改善されることはなく、むしろ悪化の一途を辿り、さらに幕末に連発した大地震や飢饉により、末期の江戸幕府は困窮の極みにあった。 日本の開国後、江戸幕府は軍事力を増強(大量の武器・軍艦を購入)するために巨額の資金を投入している。いわゆる埋蔵金伝説において、資金を秘匿し、埋蔵を画策したとされる小栗忠順は史実では造船所などの建設を主導し、大量の資金を投入(散財)している責任者である。すなわち将来の再興を期して資金を貯蔵し秘匿する”埋蔵金”という存在自体が、いま現在の幕府の存続のために急速に軍備を充実させるための資金投入を惜しまなかった、史実として伝わる小栗の行動と矛盾する。 そもそも巨額の資金があるなら、幕府軍はもっと軍備増強にその資金をつぎ込むのが自然であり、幕府存続の危機的状況において資金を蓄財しておくことはできなかったし、必要性はなかったはずである。 仮に秘匿されて明治維新を乗り越えた蓄財があるとしても、維新以降に静岡藩に移され、元幕臣らの生活を守り、また牧之原台地の開墾などに資金が必要だった徳川本家が、この資金の活用に着手しないはずが無い。 江戸城は何千人も働いており、開城の混乱に紛れて一人200~300両ずつ持ち逃げしたとすれば400万両ほどはすぐに無くなる。 また、幕府御用金四百万両は蒸気船「早丸」に隠されていたが、久里浜沖の海獺島付近で暗礁に乗り上げ沈没してしまったという伝説もある。 これらの理由をもって、末期の江戸幕府には秘匿する余剰の金など到底存在しないことから、徳川埋蔵金は架空の存在でしかなく、実在性は無いとする説が「埋蔵金架空説」である。
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