地中海上の航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/19 15:01 UTC 版)
「1801年のガントームの遠征」の記事における「地中海上の航海」の解説
1月30日、スパルテル岬沖で、二手に分かれた戦隊が再統合される少し前に、ガントームが指揮する2隻はイギリス艦に遭遇した。この艦は小型の火船「インセンディアリー(英語版)」で、指揮官はリチャード・ドーリング・ダン(英語版)だった。インセンディアリーは自分より大きなフランス艦には抵抗できず、乗員が脱出した後、この艦は火をつけられ、フランス艦から沈められた。再統合された戦隊は共に南をめざし、2月9日にジブラルタル海峡に到達して、何ら抵抗を受けることなしにそこを通過した。地中海では多くのイギリス艦隊が任務に就いていたが、ジブラルタル当局には、ガントームの作戦に関する知らせはいまだ届いておらず、近くに居合わせたイギリスの基地の沖に投錨中の、シュルダム・ピアード(英語版)指揮の32門フリゲート、「サクセス(英語版)」のみがフランス戦隊の動きを観察していた。ピアードはフランス戦隊がエジプトに向かっていると正しく推測しており、後を追うことにして、2月10日のまる一日間、フランス戦隊を尾行した。その日フランス戦隊は、10門カッターの「スプライトリー(英語版)」を捕獲して沈めていた。その夜、ガントームはアルボラン海のデ・ガータ岬(英語版)の沖でフランス艦を止めて呼び集め、そのためピアードは無意識のうちにフランス戦隊を追い抜いてしまった。そのため2月11日の朝には、フランス戦隊は「サクセス」を追う位置にいた。 3日の間、ピアードは北から東に航行し、微風で艦が進まなかったため、何度かフランス艦隊を見失い、ガントームの艦が水平線のかなたに再び現れるのを信じた。2月13日の夜明け、自分たちが結局は拿捕されて敗北するとわかったピアードは、西の方向へ「サクセス」を逆行させた。そうすることでガントームを探しているイギリス艦隊の方へ、フランス戦隊を導くことができるという期待があった。この計画は失敗した。正午に入って完全に風がやみ、15時には2隻のフランス戦列艦が射程内に入ってきた。絶望的なほど数で劣る「サクセス」は、それ以上の抵抗をやめて降伏し、フランス戦隊の艦「スクセ」となり、乗員は他の艦からの分遣隊が送り込まれた。ピアードと他の乗員は、ガントームの旗艦である「アンデヴィージブル(英語版)」に、「インセンディアリー」や「スプライトリー」の捕虜と共に乗艦し、地中海のイギリス艦隊の動きについて、詳細に尋問された。ピアードも尋問され、ガントームに、エジプトの侵攻が進行中であること、地中海東部がジョージ・キース・エルフィンストーンの強力な艦隊と、ジョン・ボルラース・ウォーレン(英語版)の戦隊の支配下にあって、この両艦隊とも神出鬼没であり、フランス艦を拿捕していると告げた。 ガントームが捕虜たちから集めた情報は大半が嘘だった。キース指揮下の大規模な遠征軍を乗せた艦隊は、地中海を航海していたものの、2週間以内にエジプトに着く気配はなく、結局到着したのは3月8日だった。この時ガントームは、気乗りのしないオスマン帝国との同盟、そして悪天候に手を焼きつつ、ピアードに、イギリス艦隊はカラマニアとアナトリアのどちらに投錨しているのかを問いただした。加えて、2月いっぱいガントームの戦隊にはひそかに尾行するものがいた、2月3日に「コンコード」がプリマスに到着し、海軍本部のジョン・ジャーヴィスのもとに急報がもたらされ、ジャーヴィスは6隻の戦列艦、2隻のフリゲートと1隻のブリッグで速度の速い戦隊を編成するように命じ、それをガントームの艦の捜索のために派遣させた。この戦隊の指揮官はロバート・コールダーであったが、速度の遅い2等艦に乗っていたため、尾行のためのこの戦隊ははなはだしく速度を落とした。いずれにしても、海軍本部はガントームの意図を測り違え、結果としてコールダーの戦隊に西インド諸島への航行を命じ、コールダー戦隊はこの作戦でそれ以上の働きはなかった。カディスを戦隊の拠点とするウォーレンは、2月8日にガントームの戦隊が通過したことを知り、ジブラルタルへ向かうガントームを尾行し、2月13日にミノルカ島へ出発し、2月20日に到着したもののフランス艦らしき影はなく、その後3月にシチリアに発つ前に、フランスとナポリ王国との間で、早いうちにフィレンツェ条約(英語版)が結ばれるという情報を耳にした。実際に自分たちを追う艦はいなかったにもかかわらず、ガントームはピアードから集めた情報におじけづき、戦隊にトゥーロンへ向かうように命じ、それ以上イギリス海軍とは接触せずに2月19日に帰港した。
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