地中海・サハラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 22:06 UTC 版)
アフリカ大陸の3分の1を占めるサハラ砂漠は、時代によってその様相が大きく異なり、そこへ住む人類の生活環境に絶大な影響を与えた。2万年前から1万年前の乾燥期には南方に大きく拡大し、熱帯雨林地帯が殆ど消失するまでの規模になっていたし、1万年前から5000年前ごろの湿潤期には逆に砂漠地帯がステップ化するなどし、前述の「緑のサハラ」と呼ばれる時代もあった。そして以降はほぼ現在と同じ砂漠化した不毛な大地が広がる地域となった。 サハラ砂漠地域に人類が定着した歴史はかなり古くから存在するが、ラクダを使用した砂漠の横断が行われ始めるのは紀元前後で、それまではサハラ南部と地中海側の砂漠化した地帯を越えての交易は行われていなかったと考えられている。サハラには紀元前3000年ごろよりベルベル人が居住していたが、紀元前8世紀ごろより、フェニキア人によって建国されたカルタゴによって北アフリカ沿岸一帯が支配下に組み込まれるようになる。紀元前146年、ローマ帝国によりカルタゴが攻め落とされると支配下地域はさらに南下し、ローマの属州として分割統治がなされた。この頃、ディアスポラと呼ばれるユダヤ人も多数北アフリカへ定着し始めたが、118年のキレナイカでの反乱をきっかけにローマ帝国による厳しい弾圧がなされるようになると、サハラ奥地へ移住していった。 7世紀後半になり、地中海南岸がイスラム帝国の支配下に組み込まれるようになった頃、サハラを越えた南北の交易が活性化していった。これらの交易はマグリブ地域においてベルベル人によって建国されたアグラブ朝、イドリース朝、ルスタム朝などの王朝の主導によって行われていたと見られている。しかし、11世紀中ごろ、ムラービト朝が興り、サハラ交易の主導権を獲得した。
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