国際軍団/維新軍時代
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「アニマル浜口」の記事における「国際軍団/維新軍時代」の解説
1981年9月23日、新日本プロレス田園コロシアム大会に国際プロレスのエースだったラッシャー木村とともに来場。このときメインイベント前のリング上で新日本に宣戦布告するはずのところ木村がいきなり「こんばんは」と挨拶し、しらけた雰囲気になりかけた状況を救ったのが浜口のマイクアピールであった。 その年の10月に新日本プロレスとの全軍対抗戦に出場、そのまま木村・寺西と共に「国際軍団」を組み新日に参戦する。国際時代とは一転、ヒールとして新日ファンからの憎悪を買った。なかでもアントニオ猪木1人と旧国際軍団3人(ラッシャー木村・寺西勇・アニマル浜口)の1対3変則マッチは今でも当時を知るプロレスファンの語り草になっている。試合ではフォール負けを喫するが猪木のエネルギーを消耗させ、五分で渡り合った。そして主将であるラッシャー木村の勝ち(エプロン・カウントアウト)に貢献した。翌1983年の再度の1対3変則マッチでは猪木からフェンスアウトで勝利した。 その後、1983年には国際軍団から離脱、長州力を中心とする維新軍に合流して新日正規軍と対戦、同軍の副将格、そして長州の参謀として大活躍した。なおこのときに始まる長州との交流は立場を違えてからも続き、浜口の引退時、長州は陰で声を上げて泣いたという。 浜口は後に「国際プロレス時代はまだ蕾だったが新日本プロレスで開花した」「僕は自分のプロレス人生で、国際軍団の時代が最高だったと心の底から思います」と語っている。また当時のエピソードとして、直接目撃したわけではないものの、猪木がある日「アニマル浜口を見習え! アイツは俺の弟子でもなければ、新日の選手でもない。それなのに、俺が持っているものをみんな盗みやがった」と檄を飛ばしていたと聞き嬉しくなったと明かしている。
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