四輪自動車開発開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 20:17 UTC 版)
「スズキ・スズライト」の記事における「四輪自動車開発開始」の解説
手探りで研究を開始した稲川たちは、道雄社長に要請し、1954年2月以降、フォルクスワーゲン・ビートル、ルノー・4CV、ロイト・LP400、シトロエン・2CVを順次購入。試験運転すると共に、繰り返しての分解による研究も図られた。これに際しては戦前のオースチン研究に際して鈴木三郎部長の下で実際の分解研究に当たったベテランスタッフが四輪研究室に派遣され、ダットサンの分解などを実地に行って、研究室員たちを指導した。 元々の知識・技能が不十分だけに、相当部分で参考車両からの模倣に近い開発を行わざるを得ないことは、開発陣も承知していた。鈴木式織機の持ち合わせた技術や設備の範囲内で製造できなければならないという制約もあった。4ストロークエンジンや、エンジンの縦置きレイアウトは、カムシャフト研磨装置や精密な特殊ギアの歯切り機がなく、それらの高度な工作機械を購入するのは難しい、という理由で採用困難とされた。モノコック構造の導入も当時の鈴木が持っていた技術では難しかった。参考車両4車のうち、消去法でベース車として残ったのは、鈴木でも実績のある簡易な2ストロークエンジンを搭載し、エンジン本体を横置きにしているために特殊ギアを要さず、簡易なバックボーン・フレーム構造でシャーシ製造の難度も低いと思われたロイト・LP400だけであった。 当時、まだ戦後の混迷期を脱したばかりの日本では、ようやく二輪車の普及が本格化してきたモータリゼーション初期段階で、もとよりタクシー用以外の乗用車需要はほとんど期待できず、四輪車と言えばトラックなどの商用車がメインであった。ロイトはエンジンクラス、ボディサイズとも税金面などで維持の手軽な日本の軽自動車規格に比較的近く、前置きエンジン・前輪駆動(FF)方式でエンジンおよび駆動系が前方にあるため、商用車化しても荷室を大きく取りやすい。 こうして生産と販路の両面の制約から、ロイトを手本に試作車を製作することが決まった。
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