四輪車業界への参入と頓挫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/08 19:03 UTC 版)
「ハンス・グラース (自動車メーカー)」の記事における「四輪車業界への参入と頓挫」の解説
グラースは1955年に、リアエンジンの超小型自動車・ゴッゴモビルを発表し、市販開始した。この時代のドイツで流行した超小型のバブルカーの中でも比較的穏健な設計を用いており、実用性が高かったため、250cc-400ccの2ストロークエンジンを搭載したこのミニカーは市場で成功、1958年からは若干大きな700cc級コンパクトカー「ゴッゴモビル・イザール」も追加された。 グラースはミニカーカテゴリーに飽き足りることなく、(西ドイツでは直前に老舗の中堅自動車メーカーであるボルクヴァルトが経営破綻していた時世にもかかわらず)1962年にピエトロ・フルアがデザインした1000ccクラスの小型セダン「グラース・1004」で通常クラスの小型乗用車市場に参入した。このモデルは当初から動弁機構にSOHCを採用しており、しかもそのカムシャフトの駆動にはチェーンでなく新技術のコグドベルトを世界で最初に導入している。1964年にはやはりフルア・デザインのグラース・1300GT(後に1700GT)を市場に導入した。しかし市場での競争(主に英国車との)は激しく、ゴッゴモビル以外の乗用車の販路は伸びなかった。 1966年には、フルアのデザインになる豪奢なボディに、排気量が2.6LぎりぎりのSOHC V型8気筒 エンジン搭載の2600GTを発売した。しかしこれは経営に何の助けにもならず、同年遅くに会社はBMWに売却された。 以後のグラース車は短期間BMWにより生産され続けたがBMW製エンジンが搭載された。グラース・1300GT クーペには1.6LのBMWエンジンを載せBMW 1600GTと改称し、グラース・2600GTには3Lのエンジンを搭載して3000GTとした。3000GTはグラースブランドのままであったが車体の前後にはBMWのロゴマークが付いていた。1968年にBMWは独自の大型クーペ2500CSを造り、これがグラース・ブランドの終わりとなった。277台の2600GTと389台の3000GTが製造された。 最後まで生産が続いたのはゴッゴモビルであり、1969年の製造終了までに累計28万台以上を生産した。グラース社の四輪車製造ビジネスでまともな成功を収めたのはゴッゴモビルだけであった。1969年、ハンス・グラースはインフルエンザにより死去した。
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