四条天皇の崩御とは? わかりやすく解説

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四条天皇の崩御(京洛政変)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 05:35 UTC 版)

仁治三年の政変」の記事における「四条天皇の崩御(京洛政変)」の解説

正月9日四条天皇12歳若さで突然崩御した。『百錬抄』や『五代帝王物語』を信じれば悪戯宮中滑石の粉を撒いたところ自らが転倒してそのまま死去したとされる承久の変配流された後鳥羽法皇の子孫を皇位から排除するために鎌倉幕府によって擁立された行入道親王後高倉院)の皇統がここに断絶したのである行助入道親王皇統絶えたことで、唯一の皇統となった後鳥羽法皇の子孫の中から次期皇位継承者決める必要が生じたこのため当時朝廷事実上指導者将軍九条頼経実父でもある太閤九条道家順徳上皇の子忠成王仲恭天皇異母弟)の擁立策した一方これに不満を持つ村上源氏土御門定通土御門上皇の子邦仁王擁立策した。両派とも鎌倉幕府賛同を得るために鎌倉使者発した鎌倉幕府では北条泰時らが協議結果鶴岡八幡宮神託得た上で邦仁王次の皇位継承者決定した忠成王の父である順徳上皇承久の乱積極的に加担した上で配流先の佐渡国健在であった。これに対して邦仁王の父である土御門上皇承久の乱には消極的で既に配流先の阿波国病死していた。幕府には反幕府的な順徳上皇京都帰還し治天の君になるのを回避したいという考えがあった。加えて土御門定通の室である竹殿北条泰時異母妹にして北条朝時同母妹、定通の弟は鶴岡八幡宮別当の定親であり、定通主張御家人全般総意を得ることに成功した考えられている。 ただし、京都朝廷では長期間11日間)の皇位空白出来た上に、鎌倉幕府意向朝廷主流派支持する忠成王ではなかったことから、当時公家社会にも衝撃与えた当時公家日記である『平戸記』・『民経記』が邦仁王擁立非難する記述(ともに仁治3年正月19日条)を残している。また、我が子即位自身京都への帰還絶望的になったことを知った順徳上皇この年9月急逝している。なお、『平戸記』の同年10月10日条に「御帰京思食絶之故云々」という記述があることから、順徳上皇単なる病死では無く絶食による事実上自殺であった可能性指摘されている。 その一方で、この政変最大限利用したのは九条道家義父頼経外祖父にあたる西園寺公経であった。公経は鎌倉での決定を知ると、直ち嫡男西園寺実氏正室である四条貞子実弟四条隆親邸宅である冷泉万里小路第に邦仁王迎え入れて践祚を行わせた(後嵯峨天皇)。続いて後嵯峨天皇働きかけ3月25日には関白道家娘婿である(公経にも孫婿にあたる)近衛兼経から道家次男である二条良実交替させた。良実は父・道家との関係悪化していた一方祖父・公経からは可愛がられて隆親の妹である四条灑子を正室として娶せるなど庇護与えられていた。更に公経は天皇仕え平棟子懐妊したとする情報手に入れると、6月10日には既に京都にも北条泰時重篤情報入っていた(後述にも関わらず、実氏と貞子の娘である西園寺姞子入内させて8月9日中宮立てられた。これは棟子に男子生まれた場合備えてより有力な皇位継承者を得る必要がある判断したことに加え摂関家機先を制し西園寺家から天皇后妃を出す好機とみたことによる。勿論、娘婿である九条道家はじめとする摂関家対立する可能性はあったが、孫の良実を自分の手元に置いている以上、摂関家全体との衝突起こり得ないであった以降土御門家四条家、そして二条良実自派引き込んだ公経が道家圧迫するようになっていく。やがて、西園寺姞子後深草天皇亀山天皇を生み、平棟子生んだ宗尊親王は後に鎌倉幕府6代将軍となる

※この「四条天皇の崩御(京洛政変)」の解説は、「仁治三年の政変」の解説の一部です。
「四条天皇の崩御(京洛政変)」を含む「仁治三年の政変」の記事については、「仁治三年の政変」の概要を参照ください。

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