椿葉の影とは? わかりやすく解説

椿葉の影

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/15 04:01 UTC 版)

椿葉記」の記事における「椿葉の影」の解説

貞成親王当初、この書に正統皇統である崇光天皇流が一旦は廃れて、再び興ったことを記したのであるという意味から『正統廃興記』と命名した。だが、後花園天皇元服までの記述追記した永享5年2月になって書名をより穏当な椿葉記』に改めた。 「椿葉」とは、元々『新撰朗詠集』に納められ大江朝綱(後江相公)による「徳ハ是レ北辰椿葉之影再ビ改マル、尊ハ猶ホ南面花之色十廻」という漢詩由来する。これは、天子治世が『荘子』(逍遥遊)において8千年寿命があると記され椿2度生え変わる(すなわち1万6千年)まで長く続く事を願ったであった。『増鏡』(三神山)において、承久の乱影響によって皇統守貞親王後高倉院)流に移され皇位継承から排除されていた後鳥羽天皇流の土御門殿の宮(土御門天皇皇子)が石清水八幡宮参詣したところ、「椿葉の影ふたたびあらたまる」という神託受けたその後守貞親王流は四条天皇の崩御をもって断絶し土御門殿の宮が急遽新し天皇後嵯峨天皇)として擁立されたという話が記されている。神託のくだりは、前述大江朝綱漢詩を基にして作成され逸話由来したものと考えられている(『古今著聞集』巻8にも類似の逸話所収されている)。 貞成親王は『椿葉記』の奏覧の辞において、後花園天皇による崇光天皇流の再興を「後嵯峨院の御例」(後嵯峨天皇による後鳥羽天皇流の再興)に擬え著名な八幡御託宣(「椿葉影再改」)のためしを引いて椿葉記』と命名した記されている。また、後嵯峨天皇以後皇統持明院統大覚寺統分立しその中で持明院統崇光天皇流と後光厳天皇流、大覚寺統後二条天皇流と後醍醐天皇流に更に分立していった。『椿葉記』の執筆意図には、後花園天皇属す崇光天皇流こそが後嵯峨天皇継承する正統皇統であることを示す意図があったとされている。後嵯峨天皇故事通じて「椿葉の影」という言葉には、大江朝綱の詩に本来含まれていなかった皇統継承という意味合い込められるようになっていったのである

※この「椿葉の影」の解説は、「椿葉記」の解説の一部です。
「椿葉の影」を含む「椿葉記」の記事については、「椿葉記」の概要を参照ください。

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