善隣学生会館事件とは? わかりやすく解説

善隣学生会館事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/15 13:44 UTC 版)

善隣学生会館事件(ぜんりんがくせいかいかんじけん)とは、1967年2月28日から同年3月2日にかけて、日本東京都文京区にある善隣学生会館(現:日中友好会館)において、日本共産党配下の日中友好協会[注釈 1]およびそれを支援した日本民主青年同盟などの日本共産党の動員部隊と、当時の中国政府中国共産党の運動を支持していた在日華僑学生やその支援者などとの間で発生した流血事件である。略して善隣会館事件とも称される。日本共産党では、この事件を日中友好協会本部襲撃事件と称し、襲撃は3年間続き「主なものだけでも105回、重軽傷者300人」にのぼったと主張している[1][2]


注釈

  1. ^ 日中友好協会は1966年に中国共産党を支持する主流派(後の公益社団法人日本中国友好協会)と日本共産党配下の非主流派とで組織が分裂し、事件当時は「日中友好協会」を名乗る団体が2つ並立していた。本事件の当事者となった「日中友好協会」は非主流派側の団体である。
  2. ^ 日本が中華人民共和国と国交を成立させるという意味。当時、日本政府台湾中華民国国家承認し、「中華民国政府が中国全体を代表する政権である」とする中華民国側の主張を受け入れていた。だが、中華人民共和国政府が中国を代表する政権なので、中華人民共和国との国交を成立すべきであるとする運動が日本国内であり、その中心団体が、日中友好協会だった。
  3. ^ 当時、日本は台湾の中華民国を中国の代表政権としていて、中華人民共和国との国交はなかったので、中華人民共和国からの留学生はいなかった。また、後楽寮は台湾からの留学生寮としては使用されていなかった。
  4. ^ 日中友好協会は日本と1949年に成立した中華人民共和国との友好関係の促進を目的として、1950年に成立した団体だが、台湾の中華民国政府を中国の代表政権として承認し、中華人民共和国を敵視していたアメリカ合衆国に追随する日本政府によって、警察の監視対象になっていた。組織には多数の日本共産党員が参加していたが、日中共産党の対立後、中国との関係を維持することを重視した会員が、1966年10月に日中友好協会(正統)本部を設立し、別に事務所を設置したことにより、同協会は分裂した。
  5. ^ 日本共産党は、ベトナム侵略反対の国際統一戦線の結成を願って、1966年2月に、ベトナム、中国、朝鮮の三カ国の共産党、労働党と会談するために、宮本顕治書記長(当時)を団長とする大型の代表団を送った。中国共産党との共同コミュニケの策定では、ソ連の評価についての溝が大きく、作成した文章は当り障りないものになったが、これについて最終的に毛沢東主席が反対し、共同声明を発表することができなかった。代表団の帰国後、日本共産党は中国共産党に対立する姿勢を強め、中国との関係が深い党員の除名などが行われた。日本共産党の配下にある日中友好協会もこの姿勢に同調した。
  6. ^ 一、第一回日中青年大交流の記録映画「団結こそ力」の上映阻止、二、中国青年代表団訪日阻止、三、青年大交流の阻止、五、中国経済貿易展覧会妨害破壊活動、六、中国関係の図書の頒布の妨害など

出典

  1. ^ 池井優『北京と代々木の間-中国と日本共産党-』(慶應通信石川忠雄教授還暦記念論文集 現代中国と世界』所収)
  2. ^ 日本中国友好協会『日中友好運動のあゆみ』
  3. ^ a b 光岡玄「善隣学生会館流血事件の意味するもの」、中国研究月報1967年3月号、中国研究所[1]
  4. ^ 宮本顕治「毛沢東との最後の会談(『週刊朝日』昭和52年6月24日号)」[2]
  5. ^ 中日友好の破壊者は誰か「華僑報1967年1月1日」[3]
  6. ^ 日中友好協会(正統)本部、「日中友好運動の刷新についての声明」、1966年10月26日
  7. ^ 善隣学生会館 中国留日学生後楽寮自治会「日共修正主義グループの華僑青年学生に対する襲撃事件の真相」[4]
  8. ^ 1967年3月6日に、都市センターホールで開かれた「日共反中国暴徒による中国人学生襲撃事件の真相報告会」での、井上清氏のあいさつ、中国研究月報1967年3月号[5]
  9. ^ 日本共産党中央委員会幹部会員候補内野竹千代・高原晋一、参議院議員岩間正男衆議院議員松本善明東京都議会議員梅津四郎ら
  10. ^ 京都・中国史研究グループ「いわゆる「善隣学生会館事件」を批評する―『赤旗』のデマ宣伝と日共指導部の修正主義的本質―」、善隣学生会館後楽寮防衛闘争委員会発行、1967年5月15日[6]
  11. ^ 『日中友好協会本部襲撃事件の真相』日本共産党中央委員会出版局など
  12. ^ 「赤旗」1967年2月19日「反党盲従分子の暴力にたいする断固たる反撃は、正当防衛権の当然の行使である」[7]
  13. ^ 青柳盛雄「赤旗」1967年2月21日「反党盲従分子の暴力には正当防衛を」[8]
  14. ^ 宮崎学『突破者』南風社、1996年、川上徹『査問』筑摩書房、1997年
  15. ^ 善隣学生会館中国留日学生後楽寮自治会「日共修正主義グループの華僑青年学生に対する襲撃事件の真相」[9]
  16. ^ 日中友好協会「外部勢力による干渉と暴行は許せない-日中友好協会本部襲撃事件の真相-」、1967年3月30日[10]
  17. ^ 橋爪利次『体験的「日中友好」裏面史』など
  18. ^ 中国研究月報1967年3月号
  19. ^ 文化界35氏の声明『中国研究月報』1967年3月号 15p-16P 一般社団法人中国研究所
  20. ^ 『赤旗』 1967年3月17日
  21. ^ 『読売新聞』1967年5月15日付「東風西風」
  22. ^ 東京地方裁判所 昭和42年(ワ)12181号
  23. ^ 『中国研究月報』1968年11月号 一般社団法人中国研究所
  24. ^ 『朝日新聞』1997年9月25日18面
  25. ^ 『しんぶん赤旗』1998年6月12日付
  26. ^ 宮崎世民『宮崎世民回想録』青年出版社、1984年
  27. ^ (社)日中友好協会編『日中友好運動五十年』、東方書店、2000年
  28. ^ https://www.j-cfa.com/about/history/ (2021年3月4日閲覧)
  29. ^ https://www.jcfa-net.gr.jp/kenkai/2017/170415seimei.html (2021年3月4日閲覧)


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