和平協定上の取り決め
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/12 05:15 UTC 版)
北部スーダン ダルフール 2006年7月時の東部戦線活動地域 南部スーダン アビエイ境界委員会 ヌバ山地と青ナイル アビエイは2011年に南部スーダンへの帰属を問う住民投票を行う アビエイ地域の地位は包括和平協定における最重要課題の一つであった。最初に調印されたマチャコス協定では南部スーダンの領域は1956年のスーダン独立時のものであった。これには交渉で三地域と呼ばれたSPLAの拠点、アビエイ、ヌバ山地、青ナイルが含まれなかった。SPLAはこの地域に帰属を決める住民投票の権利を認めさせるために数年間を費やした。これはこれらの地域が潜在的に2011年南部スーダン独立住民投票で南部に参加することを意味する。北部政府は三地域はマチャコス協定で北部への帰属を望んだと主張した。これには米国の大統領特使ジョン・ダンフォースも住民投票を含む協定に調印するように圧力をかけた。 アビエイ紛争の解決の取り決めはアビエイ地域を大統領直轄の特別行政地域とした。アビエイ地域に居住しているミッセリアを認定するための住民投票委員会に続いて、領域の正確な境界はアビエイ境界委員会 (ABC) によって決定されることになり、その結果2009年の地方選挙の際に投票することになった。全てのンゴックは伝統的な故郷の住民であると考えられるが、取り決めの細目は実施されていない。 2004年12月取り決めの追加条項によりABCは北部から5人、SPLAから5人、政府間開発機構から3人、米英から1人ずつの15人から構成された。ナイロビ大学のゴッドフリー・ムリウキ、アディスアベバ大学のカサフン・ベルハヌ、南部スーダンに関する著書のあるダグラス・ジョンソン、南アフリカの法律家シャドラック・グット、元米駐スーダン大使ドナルド・パターソンの5人の中立な専門家が最終報告書を提出した。ABCは同意された手続きに則りアビエイの町より87kmの北緯10度22分30秒の線を境界に定めた。 ABCは2005年7月14日に報告書を大統領に提出したが、政権は拒絶した。月末のジョン・ガランの死で他の議題に押し出されたが、SPLAはアビエイの取り決めの履行を求めた。北部側の合意への抵抗は石油とパイプラインに関する利益の保持を図るためである。 2007年10月SPLAと北部政権との間の緊張が高まり、SPLAは停滞した問題から一時的に統一政府から離脱した。複数の評論家はCPAは大半が外交圧力で調印されたものだと論じる。国際危機グループは「アビエイで起ることはスーダンが平和を固めるか戦争に戻るかを決めるだろう」と声明した。
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