和平交渉と独立運動の亀裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 23:28 UTC 版)
「モロ民族解放戦線」の記事における「和平交渉と独立運動の亀裂」の解説
1976年、マルコス政権はリビアの仲介を得て、MNLFとの間でミンダナオやスールー諸島の14州の自治を約束するトリボリ協定(英語版)を締結した。だが、この和平協定への対応を巡って以前から存在した内部対立が激化、1977年にはミスアリ派、サラマト派(後にモロ・イスラム解放戦線へ発展)等諸派に分裂し、ヌル・ミスアリを指導者とするMNLFはより過激な諸派との競合の中でその勢力を次第に衰退させた。また、トリポリ協定そのものも自治区編入の可否を問う住民投票をMNLFが嫌ったことで事実上破棄され、戦闘が再開。 交渉再開には1986年の人民革命とマルコス政権の崩壊、新たに制定されたイスラム教徒の自治を盛り込んだ新憲法に象徴されるコラソン・アキノ政権下の宥和政策を待たねばならなかった。だが1989年に実施された住民投票の結果、自治を受け入れたのはイスラム教徒が多数派となる4州に留まり(2001年の再投票で1州1市が追加参加)、翌年この4州のみでムスリム・ミンダナオ自治区(ARMM)が発足した。この政府の措置に対し、トリボリ協定(英語版)に記された完全自治を要求するMNLFはこの結果を拒否して武装闘争継続を宣言する。
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