呼続
(呼続町_(名古屋市) から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/25 06:11 UTC 版)
呼続・呼続町
|
|
---|---|
![]()
呼続駅 駅舎
|
|
北緯35度6分24.99秒 東経136度55分50.75秒 / 北緯35.1069417度 東経136.9307639度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
区 | 南区 |
町名制定[1] | 1988年(昭和63年)8月1日 |
面積 | |
• 合計 | 0.640388414 km2 |
人口 | |
• 合計 | 5,914人 |
• 密度 | 9,200人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
457-0014(呼続)[WEB 3]
|
市外局番 | 052(名古屋MA)[WEB 4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
※呼続町の人口はごくわずかな為、秘匿とする。 |
呼続(よびつぎ)は、愛知県名古屋市南区の地名。現行行政地名は呼続一丁目から呼続五丁目と呼続町。住居表示は呼続が実施済み、呼続町が未実施[WEB 5]。呼続町には呼続町9丁目と17の小字が設置されている。
地理
呼続一丁目から五丁目は名古屋市南区の北東部に位置し、東は呼続元町・寺崎町・桜本町・西桜町、西は岩戸町・薬師通・曽池町・戸部町、南は笠寺町、北は瑞穂区河岸町・荒崎町に接する。
呼続町は、山崎川や天白川の河川敷地、八幡社の敷地など町名整理未実施の地域に散在する。呼続町9丁目は、呼続五丁目の南端部分にごく僅かに残存する。
字一覧
呼続町とその前身である呼続村大字千竈の小字は以下の通り[WEB 6]。消滅した字については背景色 で示す。
字 | 字 |
---|---|
愛知塚(あいちづか) | 赤坪(あかつぼ) |
畦道(あぜみち) | 荒浜一ノ割(あらはまいちのわり) |
荒浜三ノ割(あらはまさんのわり) | 荒浜二ノ割(あらはまにのわり) |
案戸(あんど) | 池田(いけだ) |
池ノ下(いけのした) | 池ノ端(いけのはし) |
石神(いしがみ) | 磯ノ内西ノ割(いそのうちにしのわり) |
磯ノ内東ノ割(いそのうちひがしのわり) | 市亀(いちがめ) |
一里(いちり) | 一本木(いっぽんぎ) |
岩穴(いわあな) | 岩戸(いわと) |
上島合(うえしまあい) | 馬洗戸(うまあらいど)[注釈 1] |
馬乗掛(うまのりかけ)[注釈 2] | 内山(うちやま) |
姥子塚(うばこづか) | 梅ヶ屋(うめがや) |
浦里(うらさと) | 榎戸(えのきど) |
追戸(おいど) | 追戸下(おいどした) |
扇田(おうぎた) | 大髭(おおひげ) |
大堀(おおほり) | 大藪(おおやぶ) |
海蔵寺(かいぞうじ) | 替地(かえち) |
学頭(がくとう) | 欠上(かけうえ)[注釈 3] |
欠下(かけした) | 釜塚(かまつか) |
上霜谷(かみしもたに) | 上浜(かみはま) |
上道下(かみみちした) | 河跡(かわあと) |
川敷(かわしき) | 河原(かわはら) |
神林(かんばやし) | 北尾(きたお) |
北ノ内一ノ割(きたのうちいちのわり) | 北ノ内五ノ割(きたのうちごのわり) |
北ノ内三ノ割(きたのうちさんのわり) | 北ノ内二ノ割(きたのうちにのわり) |
北ノ内四ノ割(きたのうちよんのわり) | 北ノ内六ノ割(きたのうちろくのわり) |
北屋敷(きたやしき) | 窪(くぼ)[注釈 4] |
熊野(くまの) | 繰出(くりだし) |
車坂(くるまさか) | 小坂(こさか) |
小道(こみち) | 才仙(さいせん) |
嵯峨野(さがの) | 桜木(さくらぎ) |
桜田(さくらだ) | 桜畑(さくらはた) |
桟敷(さじき) | 三丈坊(さんじょうぼう) |
汐田(しおた) | 汐見(しおみ) |
下島合(したしまあい) | 東雲(しののめ) |
志水(しみず) | 清水(しみず) |
下二反田(しもにたんだ) | 下島間(しもしまま) |
下霜谷(しもしもたに) | 下浜(しもはま) |
下道下(しもみちした) | 下薬師(しもやくし) |
杓子田(しゃくしだ) | 城(しろ) |
城下(しろした) | 洲雲(すくも) |
背戸田(せとだ) | 浅間(せんげん) |
善根(ぜんこん) | 外山(そとやま) |
鯛取(たいとり) | 鯛ノ子(たいのこ) |
高塩屋一ノ割(たかしおやいちのわり) | 高塩屋二ノ割(たかしおやにのわり) |
高野畑(たかのはた) | 高畑(たかはた) |
駄積(だつみ)[注釈 5] | 達中(たつなか)[注釈 6] |
達中下(たつなかした) | 丹下(たんげ) |
千竈(ちがま) | 茶塚(ちゃづか) |
朝拝(ちょうはい) | 堤端(つつみばた) |
角崎(つのさき) | 鶴田(つるた) |
天神(てんじん) | 常寒(とこさむ) |
戸田屋(とだや) | 殿町(とのまち) |
鳥居前(とりいまえ) | 鳥栖(とりすみ) |
中島間(なかしまま) | 中道(なかみち) |
中村(なかむら) | 中屋敷(なかやしき) |
名古(なご) | 七子(ななこ) |
縄境(なわざかい) | 西赤坪(にしあかつぼ) |
西一色(にしいしき) | 西郷梅(にしごうめ) |
西桜(にしさくら) | 西茶ノ木田(にしちゃのきだ) |
西ノ切(にしのきり) | 西廻間(にしはざま) |
咽海戸(のどかいど) | 野屋(のや) |
羽城(はしろ) | 八王子(はちおうじ) |
八幡下(はちまんした) | 八幡西(はちまんにし) |
八幡前(はちまんまえ) | 八反田(はったんだ) |
花見(はなみ) | 浜海道(はまかいどう) |
浜見(はまみ) | 林(はやし) |
東一色(ひがしいしき) | 東裏(ひがしうら) |
東大地掛(ひがしおおちがけ)[注釈 7] | 東郷梅(ひかしごうめ) |
東善根(ひがしぜんこん) | 東茶ノ木田(ひがしちゃのきだ) |
東廻間(ひがしはざま) | 平子(ひらこ) |
深ノ内(ふかのうち) | 吹上(ふきあげ) |
鰒ノ前(ふぐのまえ) | 富士塚(ふじつか) |
富士見(ふじみ) | 宝珠庵(ほうじゅあん) |
宝珠庵道(ほうじゅあんみち) | 細総(ほそふさ)[注釈 8] |
前廻間(まえはざま) | 曲リ(まがり) |
曲尺手(まがりしゃくて) | 間瀬口(ませぐち) |
松下(まつした) | 丸根(まるね) |
見取(みとり) | 南大地掛(みなみおおちがけ)[注釈 9] |
宮道(みやみち) | 迎山(むかいやま) |
胸反(むねそり)[注釈 10] | 村上(むらかみ) |
元屋敷(もとやしき) | 諸輪一之割(もろわいちのわり) |
諸輪三之割(もろわさんのわり) | 諸輪二之割(もろわにのわり) |
諸輪四之割(もろわよんのわり) | 門所(もんどころ) |
薬師(やくし) | 家下(やした) |
弥太郎田(やたろうだ) | 柳原(やなぎはら) |
山﨑(やまざき) | 山寺(やまでら) |
夜寒(よさむ) | 淀輪(よどわ) |
呼続(よびつぎ)[注釈 11] | 六本松(ろっぽんまつ) |
脇田(わきた) | 分野(わけの)[注釈 12] |
輪ノ内(わのうち) |
歴史
前身である愛知郡千竃村は、明治期に山崎村・新屋敷村・桜村・戸部村の4村の合併により成立した村である。名古屋市編入後は呼続町と改称されるが、呼続町は町名整理により大部分が他の町名に編入された。
現行の呼続一丁目から五丁目は、江戸期まで北部が山崎村、西南部が戸部村、東部が桜村の一部であった地に該当する[注釈 13]。
町名の由来
中世まで当地付近は海岸で、「呼続浜」と称されていたことによる[2]。波が高くて危険であるので、渡し船の乗組員が前後で声で呼び継いでいたことが由来とされる。
地名は鎌倉期以降から確認でき、1238年(嘉禎4年)付『笠寺勧進沙門阿願解』に「呼続之浦」とあるのが初見である。
鳴海潟
夕浪千鳥たちかへり友よびつぎの
浜に啼くなり — 『新後拾遺集』巻8
という歌が収録されている。 1541年(天文10年)付の『笠寺観音縁起』には「尾張国愛智郡呼続之浦...坂野」とある。
なお、かつては熱田東町にも「呼続」という小字が存在した(現在の神宮四丁目・伝馬三丁目・桃園町付近)。
行政区画の変遷
呼続町
- 1878年(明治11年)12月28日 - 愛知郡山崎村・新屋敷村・桜村・戸部村が合併し、千竃村が成立[3]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行・合併に伴い、愛知郡呼続村大字千竃となる[3]。
- 1897年(明治30年)7月12日 - 町制施行に伴い、呼続町大字千竃となる[3]。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 名古屋市南区へ編入し、同区呼続町に改称[3]。
- 1928年(昭和3年)12月15日 - 一部が西桜町・桜本町・元桜田町・霞町・扇田町・若草町・春日野町・貝塚町・楠町・弥生町・白雲町となる[1][3]。
- 1939年(昭和14年)8月5日 - 一部が桜台町・鯛取通となり[4]、一部を桜本町・元桜田町へ編入[3]。
- 1943年(昭和18年)
- 1946年(昭和21年)11月11日 - 一部が中江町・鶴田町・外山町・駈上町・新郊通・鳥栖町・東浦通・才仙町となり、一部を鯛取通・水車町・朝拝町・宮崎通へ編入[5][4][1]。
- 1947年(昭和22年)9月1日 - 一部を中江町・新郊通・鳥栖町・寺崎町へ編入[5][4]。
- 1949年(昭和24年)8月18日 - 一部が薬師通・汐田町・北内町・城下町・大磯通・曽池町・戸部町・松池町・千竈通・荒浜町・塩屋町となり、一部を山崎町・青峰通・岩戸町へ編入[4][1][6][7]。
- 1968年(昭和43年)8月15日 - 一部を宮崎通へ編入[1]。
![]() |
この節の加筆が望まれています。
|
呼続
- 1988年(昭和63年)8月1日 - 以下の通り、南区呼続一 - 三丁目が成立[1]。
- 一丁目 - 山崎町・青峰通・大磯通・呼続町の各一部
- 二丁目 - 山崎町・呼続町・青峰通・宮崎通の各一部
- 三丁目 - 岩戸町・呼続町・青峰通・宮崎通・薬師通の各一部
- 1990年(平成2年)11月26日 - 以下の通り、呼続四 - 五丁目が成立[1]。
- 四丁目 - 曽池町・戸部町・薬師通・呼続町の各一部
- 五丁目 - 戸部町・呼続町の各一部
世帯数と人口
2019年(平成31年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
呼続一丁目 | 806世帯 | 1,554人 |
呼続二丁目 | 540世帯 | 999人 |
呼続三丁目 | 607世帯 | 1,221人 |
呼続四丁目 | 679世帯 | 1,303人 |
呼続五丁目 | 441世帯 | 837人 |
計 | 3,073世帯 | 5,914人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
1995年(平成7年) | 7,075人 | [WEB 7] | |
2000年(平成12年) | 6,621人 | [WEB 8] | |
2005年(平成17年) | 6,284人 | [WEB 9] | |
2010年(平成22年) | 6,140人 | [WEB 10] | |
2015年(平成27年) | 6,059人 | [WEB 11] |
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 12]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 13]。なお、小学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
字・丁目 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
呼続町字西桜 | 名古屋市立春日野小学校 | 名古屋市立桜田中学校 | 尾張学区 |
呼続一丁目 | 名古屋市立呼続小学校 | 名古屋市立新郊中学校 | |
呼続二丁目 | |||
呼続三丁目 | |||
呼続四丁目 | 名古屋市立呼続小学校 名古屋市立大磯小学校 |
||
呼続五丁目 | 名古屋市立呼続小学校 |
交通
鉄道
道路
施設
- 呼続公園
- 呼続コミュニティセンター
- 名古屋市立新郊中学校
- 名古屋市立呼続小学校
- 名古屋呼続郵便局
- 法泉寺
- 地蔵院
- 長楽寺
その他
日本郵便
脚注
注釈
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では、読みを「むまやらいど」としている。
- ^ 『名古屋南部史』では、読みを「馬乗懸」としている。
- ^ 『名古屋南部史』では、「缺上」(かけのうえ)としている。
- ^ 『名古屋南部史』では、読みを「くぼみ」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では、読みを「だすみ」としている。
- ^ 『名古屋南部史』では、「立長」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では、「大地掛」(だいぢかけ)としている。
- ^ 『名古屋南部史』では、「細總」(ほそくさ)としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では、「大地掛」(だいぢかけ)としている。
- ^ 『名古屋南部史』では、読みを「むなはり」としている。
- ^ 1882年の『明治十五年愛知縣郡町村字名調』では、読みを「よひつき」としている。
- ^ 『日本 町字マスターデータセット』では、読みを「ぶんの」としている。
- ^ 概ね東海道を挟んで西側が桜村、東側が戸部村であった。
出典
WEB
- ^ “愛知県名古屋市南区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年5月4日閲覧。
- ^ a b “町・丁目(大字)別、年齢(10歳階級)別公簿人口(全市・区別)”. 名古屋市 (2019年4月22日). 2019年4月23日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年3月17日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年1月6日閲覧。
- ^ “南区の町名一覧”. 名古屋市 (2015年10月21日). 2019年4月23日閲覧。
- ^ “名古屋市道路認定図”. 名古屋市. 2020年11月20日閲覧。「名古屋市南区呼続町」のページを参考とした。
- ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ “市立小・中学校の通学区域一覧”. 名古屋市 (2018年11月10日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年4月23日閲覧。
書籍
- ^ a b c d e f g h i 名古屋市計画局 1992, p. 851.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 592.
- ^ a b c d e f 名古屋市計画局 1992, p. 852.
- ^ a b c d e f 名古屋市計画局 1992, p. 850.
- ^ a b 名古屋市計画局 1992, p. 849.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 853.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 854.
参考文献
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、呼続に関するカテゴリがあります。
![]() |
瑞穂区河岸町・荒崎町 | 呼続元町 | ![]() |
|
岩戸町・薬師通・曽池町 | ![]() |
寺崎町 | ||
![]() ![]() |
||||
![]() |
||||
戸部町 | 笠寺町 | 桜本町・西桜町 |
- 呼続町_(名古屋市)のページへのリンク