吉良のいじめとは? わかりやすく解説

吉良のいじめ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:32 UTC 版)

赤穂事件」の記事における「吉良のいじめ」の解説

史実俗説取り交えて書かれた『赤穂鍾秀記』(元禄16年加賀藩士の杉本義鄰著)の憶測によれば吉良元来奢侈利欲深く、いつも過言し「付届け」の少ない者には指図疎かにしたり陰口たたいたりする人物であったという。同書によれば浅野吉良付届けをしなかったので吉良不快に思い浅野勅使をどこで迎えるべきかと吉良に問うたところ、「そんな事は前もって知っておくべきだ」と嘲笑し、「あのような途方もないことをいう人間ごちそう人が勤まるか」と少し声高に雑言したという。同書はさらに、勅使休憩する増上寺宿坊畳替え吉良指示せず浅野内匠頭危うく失態招きそうになったという話や、「吉良から無礼な事をされても堪忍すべきだ」と親友加藤遠江守から浅野忠告されたという話が載っている。 また後の「赤穂義士」観に決定的な影響与えた室鳩巣の『赤穂義人録』(元禄16年10月著、宝永6年改訂)では、さらにはっきりと吉良儀式作法伝授する際「賄賂」を受け取っていたと書かれている同書によれば浅野公私わきまえず贈り物をする気は全くなかった事が吉良との不和根本原因となったという。そして「大広間廊下」で浅野勅使迎え方で吉良から侮辱される梶川が「勅答の礼が終わった連絡してほしい」と浅野伝えると、吉良横から口を挟み、「相談は私にすべきだ。そうでない不都合生じでしょう」と浅野侮辱し、さらに吉良が「田舎者は礼を知らない。またお役目辱めるだろう」と追い打ちをかけた為、浅野刃傷及んだという。こうした記述対し刃傷の場に居合わせた梶川与惣兵衛書いた梶川与惣兵衛筆記』の記述矛盾があることが指摘されているが、刃傷沙汰当日記述相違がある事だけから「吉良のいじめ」自体無かったとするのには無理がある。 他にも江戸幕府の公式史書である『徳川実紀』の元禄十四年(1701年)三月十四日条には、 世に伝ふる所は、吉良上野介義央歴朝当職にありて、積年朝儀あづかるにより、公武礼節典故熟知精練すること、当時その右に出るものなし。よって名門大家の族もみな曲折してかれに阿順し、毎事その教を受たり。されば賄賂むさぼり、其家巨万をかさねしとぞ。長矩は阿諛せす、こたび館伴奉りても、義央に財貨をあたへざりしかば、義央ひそかにこれをにくみて、何事も長矩にはつげしらせざりしほどに、長矩時刻過ち礼節を失ふ事多かりしほどに、これをうらみ、かゝることに及びしとぞ とあり、吉良が行ていたいじめに関して当時から公然と認知されていた事が窺える一方で吉良上野介によるこうした侮辱的ないじめ行為があり、耐えに耐えかねて刃傷及んだというのであれば、何故浅野がそれらを幕府訴えなかったのかという疑問や、そうしたいじめを公然と認知していたというのであれば、何故幕府吉良に対して注意をしたり、責任問いただしたりしなかったのかという疑問残されたままである

※この「吉良のいじめ」の解説は、「赤穂事件」の解説の一部です。
「吉良のいじめ」を含む「赤穂事件」の記事については、「赤穂事件」の概要を参照ください。

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