吉良の怨霊と義士の悪夢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:50 UTC 版)
討ち入りから1年弱経った元禄16年(1703年)の元禄大地震とそれの6日後に起きた大火で吉良邸があった周辺の武家地や町人地は壊滅状態になり、人々は吉良の怨霊が現世にとどまり祟りをなしたと噂した。 史実でも、その復興のときに吉良邸跡の中島伊勢(小林央通の曾孫・葛飾北斎の養父)の拝領地に吉良義央の鎮魂と供養の為に吉良神社が建てられている。 一方、将軍綱吉の夢に地獄が出現し、「我らを誰と思う。浅野内匠頭とそれに従う四十六人なるぞ。大樹も疾く此方へ参れ」と赤穂義士主従が綱吉の裁断に怒りを述べ呪い殺そうとした。 実際には、宝永6年(1709年)、綱吉の通夜で転寝した寵臣の松平輝貞が見たと周囲に話した夢を、綱吉が見たものと変えた創作(曹洞宗で自殺が大罪とされている点を踏まえて脚色した物語)である。赤穂義士も大正元年に完成した赤穂大石神社に祀られている。
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