吉良の隠居とは? わかりやすく解説

吉良の隠居

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:32 UTC 版)

赤穂事件」の記事における「吉良の隠居」の解説

12月11日吉良上野介隠居と、嫡男義周(左兵衛)の家督相続許可された。 これを聞いて堀部安兵衛たち急進派焦り始めた隠居した上野介が、米沢藩上杉家養子入りしていた実子の綱憲に引き取られてしまうと、討ち入り難しくなってしまうからである。堀部たちは、江戸会議のために下向してそのままとどまった原惣右衛門大高源五相談の上上方戻っていた大石内蔵助書状送り上野介居場所継続して監視する手はず整えており、自分2月上洛するのでそこで談判し3月上旬には江戸もどって討ち入り行いたい、と具体的なスケジュール提示してせかしたまた、渡世度外視した浪人生活一年近くに及び、当座の生活にも苦しくなる旧藩士の実情をも訴えた一方大石にとっては、討ち入り条件として「浅野再興 および 吉良家への処分」がどちらもなされないこと、としており、後者なくなった時点討ち入り反対する理由はなかった。しかし、浅野大学対す処分が下る前に討ち入りをした場合御家再興影響が出る可能性があるため、引き続き討ち入り先延ばしすべきだと主張した上野介が無理なら息子左兵衛討てばよいし 、閉門はたいてい三年解けるものだから大学閉門解かれるであろう主君三回忌まで討ち入り待ち後悔しないようにすべきだといった。 堀部は、大石前言と違うこと(上野介お咎めなしになったのに、討ち入り賛同しないこと)を言い出し、更に期限浅野内匠頭三回忌まで延ばすことを提案したことから大石に対して不信感抱き、原、潮田中村大高らと連携し大石抜きで討ち入り必要な頭数揃え方向模索し始めた

※この「吉良の隠居」の解説は、「赤穂事件」の解説の一部です。
「吉良の隠居」を含む「赤穂事件」の記事については、「赤穂事件」の概要を参照ください。

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