吉田寮食堂問題
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2012年4月19日、赤松明彦副学長は「吉田寮食堂の取り壊しと代替スペースの建設」「吉田寮A棟の建設」「これに関する吉田寮自治会との交渉打ち切り」を吉田寮自治会に通知した。吉田寮自治会や食堂利用者は「当事者の意見を無視した一方的な決定であり容認できない」と反発、大学当局に決定の撤回と再度の交渉を求めた。大学当局は当初交渉を拒否していたものの、非難の声が高まるにつれて、23日に「吉田寮食堂取り壊しに関する説明会」を開いた。説明会には吉田寮や熊野寮の寮生や食堂関係者が大勢詰めかけた。 この説明会において、赤松副学長は「寮食堂を取り壊し、2014年3月までにA棟を建設し、ついで2016年秋までに現寮を取り壊してB棟を建設する」計画を提示し、「吉田南再整備計画の予算を第2期目標中期計画期間内に消化する必要があり、その選択が寮生の安全を守るために最善の策である」「A棟には十分な定員を確保し寮の収容人員不足を解消したい」「A棟の建設を決定することで、現吉田寮の老朽化について議論でき、寮生の安全の早期確保にもつながる」と主張し、寮生の自治を否定するものではないと理解を求めた。一方、吉田寮自治会側は、大学側の決定を批判し、決定の撤回を要求した上で、食堂と現棟の補修ならびに焼け跡のみを敷地とするA棟の建設案を対案として提出した。吉田寮側は「大学側の主張する建て替え計画はそもそも第2期中期計画の期限の2016年3月に間に合わない」「しかし自治会側の提案する補修案を採用すれば工期が大幅に短縮され、第2期中期計画の期間中に工事が完了する公算が大きい」「自治会側は寮食堂と現棟を補修してA棟を建てた場合でも大学側の主張する十分な定員を確保できる案を提示しており、大学側がこの案を無視しているのは納得がいかない」「吉田寮の老朽化対策は補修で解決できる問題であり、むしろ補修をした方が早急に問題を解決できる」と主張、大学側プランへの疑問点や自治会側プランの利点を挙げて副学長らを追求した。 さらに、説明会参加者の一人、建築家の山根芳洋は「京都大学学生寄宿舎吉田寮食堂建築物の調査実測によるその京都大学内で最古の建築物である実証 ―京大最古の建築施設―」と題した論文を配布し、寮食堂に関する知られざる事実を明らかにした。2012年当時、寮食堂は現棟と同じく1913年に竣工したと考えられていた。ところが、山根が吉田寮自治会の依頼で寮食堂を調査したところ、寮食堂が1889年7月に第三高等中学校寄宿舎の食堂として竣工し、1897年からは京都帝国大学旧寄宿舎の食堂として使用され、1913年に旧寄宿舎の閉寮と新寄宿舎(吉田寮)の開寮に合わせて現在の場所に移築されたことが分かった。つまり、寮食堂は第三高等中学校の数少ない大学建築遺構で、京大最古の大学建築物だったのである。その上で山根は「吉田寮食堂も堅実な構成と意匠をみせて、京大において最も古く、また焼失した本校と同一の意匠をもっている。また食堂は最も重要な中央軸線上にあった重要施設であり、京大の起源を最もよく示している建築と言へ、歴史的価値は高く、また文化史的、建築的価値もきわめて高い重要建築物である。この認識を共有するならば、吉田寮食堂は国の重要文化財となるであろう。(中略)焚書に等しき行為は無きものと信じる」と主張した。 吉田寮側の批判と説得、そして山根の発見のおかげで、赤松副学長は食堂の取り壊しを撤回し、食堂の補修そして焼け跡へのA棟の建設を受け入れた。
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