司馬江漢(しばこうかん 1747-1818)
江戸後期の洋画家、蘭学者、日本で最初の銅版彫刻地図印刷を実施。
司馬江漢(浮世絵師の鈴木春重)は、江戸に生まれ、こどものころから好奇心旺盛だったという。初め狩野派に学び、18歳のころには鈴木春信にも学んで浮世絵師となり、錦絵の版下を描いたという。
24歳のころ交流のあった平賀源内の影響を受けて西洋画を学ぶ。36歳のころ大槻玄沢の協力を得て、蘭書(ボイス著「新選科学工芸総合大辞典」の中の「銅刻を作るの技法」)を読み、日本人で最初の銅版彫刻・印刷を試み、翌天明3年(1783)自作の銅版画を販売した。
その後、大坂の地図収集家の木村兼葭堂、天文家間重富などとも交わり、寛政4年(1792)には、「輿地全図」を彫刻出版した(その後改題され「地球全図」となる)。もととしたのは、それ以前に江戸に参府したオランダ商館長が所有していた1720年ごろのフランス製「ジャイヨ世界図」である。これらは、日本で最初の銅版印刷された地図であり、日本で初めて売り出された蘭学系の世界図でもある。
翌寛政5年出版の「地球全図略説」は、「銅版地球全図」の解説書で、そこでは日食・月食や天動説と地動説などを図解入りで説明し、さらに地球の五帯より各地の気候・産物なども略記し、南北両回帰線や極圏などにもふれている。文化6年(1809)には、「刻白爾(コツヘル)天文図解」を刊行し天動説を紹介する。司馬江漢のこれらの著作には、地理的情報や天文事象を図解をもって分かりやすく伝えようとする努力が見られる。
司馬江漢は、こうした地図・測量などとのかかわり以上に、日本における洋風画の開拓者として知られる一方、あるときは浮世絵師鈴木春重でもあったことは言うまでもない。
司馬江漢(浮世絵師の鈴木春重)は、江戸に生まれ、こどものころから好奇心旺盛だったという。初め狩野派に学び、18歳のころには鈴木春信にも学んで浮世絵師となり、錦絵の版下を描いたという。
24歳のころ交流のあった平賀源内の影響を受けて西洋画を学ぶ。36歳のころ大槻玄沢の協力を得て、蘭書(ボイス著「新選科学工芸総合大辞典」の中の「銅刻を作るの技法」)を読み、日本人で最初の銅版彫刻・印刷を試み、翌天明3年(1783)自作の銅版画を販売した。
その後、大坂の地図収集家の木村兼葭堂、天文家間重富などとも交わり、寛政4年(1792)には、「輿地全図」を彫刻出版した(その後改題され「地球全図」となる)。もととしたのは、それ以前に江戸に参府したオランダ商館長が所有していた1720年ごろのフランス製「ジャイヨ世界図」である。これらは、日本で最初の銅版印刷された地図であり、日本で初めて売り出された蘭学系の世界図でもある。
翌寛政5年出版の「地球全図略説」は、「銅版地球全図」の解説書で、そこでは日食・月食や天動説と地動説などを図解入りで説明し、さらに地球の五帯より各地の気候・産物なども略記し、南北両回帰線や極圏などにもふれている。文化6年(1809)には、「刻白爾(コツヘル)天文図解」を刊行し天動説を紹介する。司馬江漢のこれらの著作には、地理的情報や天文事象を図解をもって分かりやすく伝えようとする努力が見られる。
司馬江漢は、こうした地図・測量などとのかかわり以上に、日本における洋風画の開拓者として知られる一方、あるときは浮世絵師鈴木春重でもあったことは言うまでもない。
司馬 江漢と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
このページでは「地図測量人名事典」から司馬 江漢を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から司馬 江漢を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から司馬 江漢 を検索
Weblioに収録されているすべての辞書から司馬 江漢を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から司馬 江漢 を検索
- 司馬 江漢のページへのリンク