天動説と地動説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 21:08 UTC 版)
コペルニクス以前にも、地動説(heliocentrism)を唱えた天文学者はいた。ピュタゴラス教団のピロラオスは宇宙の中心に中心火があり、地球や太陽を含めてすべての天体がその周りを公転すると考えた。プラトンは、善のイデアである太陽が宇宙の中心にあるべきだと考えた。特に傑出していたと推定されるのは、サモスのアリスタルコス(紀元前310-230頃、イオニア時代の最後)である。彼は、地球は自転しており、太陽が中心にあり、5つの惑星がその周りを公転するという説を唱えた、と伝えられる。彼は、太陽を中心として、惑星の配置をきちんと示した。これは単なる思いつきや空想を越えたものであり、ほとんど「科学」と呼ぶ水準に達している。 紀元前280年頃、この説が唱えられて以来、コペルニクスが登場するまで、1800年もの間、人類は地動説を知ってはいたが、その考えを馬鹿げたものとして退けてきた。 天動説の最初の形は、天球説だった。アリストテレス以前のイタリア学派は、月、太陽、すべての星が地球を中心とする同心球により説明した。この体系の完成者とされるユークドスは、5つの惑星と太陽、月の運動を説明する地球を中心とする7つの天球を与え、組合せにより合計27の天球をもつ複雑な体系となった。カリッポスは34個の、アリストテレスは56の天球からなる更に複雑な体系を考えた 同心球体系に変わって生まれたのが離心球と周天円の体系だった。ペルガのアポロニウスにより考えられ、ヒッパルコスによって完成され、クラウディオス・プトレマイオスにより後世に伝えられた。プトレマイオスの主著『アルマゲスト』は、それまでの天文学を体系付け、実用的な計算法を整理したことで、エウクレイデスの『原論』のように何世紀にもわたって標準的な教科書であり続けた。
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