受容・研究史とは? わかりやすく解説

受容・研究史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 05:11 UTC 版)

古事記」の記事における「受容・研究史」の解説

朝廷では平安時代『日本書紀』について大学寮学者公卿解説する日本紀講筵日本紀講講書が行われ、『古事記』参考文献として使われた。古語伝える書として重視されるともあれば、矢田部公望のように編年体でないことで低く評価したうえで『先代旧事本紀』の方がより古い史書であると主張する講師もいた。 鎌倉時代には、朝廷でも披見できる人が少な秘本扱いで、特に中巻近衛家伝来の書を収めた御文庫しかないと言われていた。そうした中、弘長3年1263年)に右近衛大将藤原通雅が「不慮」に中巻手に入れた神祇官卜部兼文(卜部兼方の父)は文永5年1268年)に通雅から、文永10年1273年)には鷹司兼平から中巻借りて書写した。弘安4年1281年)には藤原氏一条家卜部家から借りた『古事記』書写して自家伝来本と校合し、翌年さらに伊勢神宮祭主大中臣定世が一条家から借りて書写した。孫の大中臣親忠が伊勢神宮外宮禰宜度会家行伊勢神道大成者)に貸して写本2部つくられた。これが、伊勢神宮密接な関わりがあった真福寺に伝わる『古事記』最古写本元になったと推測される渡会家行は自著類聚神祇本源』に『古事記』引用した室町時代後期神道家吉田兼倶も、『日本書紀』最上としつつも『先代旧事本紀』と『古事記』を「三部本書」と呼んで重視した江戸時代初期寛永21年1644年)に京都印刷による刊本『古事記』いわゆる寛永古事記」)が出版され研究盛んになった。出口延佳が『鼇頭ごうとう古事記』を貞享4年1687年)に刊行したほか、『大日本史』につながる修史事業始めた徳川光圀水戸藩主)にも影響与えた江戸時代隆盛する国学でも重視され荷田春満は『古事記箚記(さっき)』、賀茂真淵は『古事記頭書とうしょ)』を著した。そして京都遊学中に寛永古事記入手した本居宣長は、賀茂真淵との「松坂一夜」でも『古事記』重要性説かれ本格的な研究取り組み、全44巻の註釈書古事記傳』を寛政10年1798年)に完成させた。これは『古事記』研究古典であり、厳密か実証的な校訂後世大きな影響与えている。 第二次世界大戦後は、倉野憲司武田祐吉西郷信綱西宮一民神野志隆光らによる研究注釈書発表された。特に倉野憲司による岩波文庫版は、初版1963年昭和38年))刊行以来重版通算は約100万部に達している。20世紀後半になり、『古事記』研究それまで成立論から作品論へとシフトしている。成立論の代表として津田左右吉石母田正があり、作品論代表としては、吉井巌西郷信綱神野志隆光がいる。

※この「受容・研究史」の解説は、「古事記」の解説の一部です。
「受容・研究史」を含む「古事記」の記事については、「古事記」の概要を参照ください。

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