受容・影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 01:48 UTC 版)
「ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ」の記事における「受容・影響」の解説
同時代の詩人ザンクトガレンの内膳頭(ないぜんのかみ)ウルリヒ・フォン・ジンゲンブルク(Ulrich von Singenburg, der Truchsess von Sankt Gallen;1209年から1228年まで史料あり)はヴァルターを「我等の歌の師匠」(unsers sanges meister)と呼び、「世の人々に多くを教えた」(swaz er ê der welte erkande)と追悼している。ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデの後世への影響は計り知れない。その名声は中世を通じて高く、ルネサンス期、バロック期にも忘れられることはなかった。13世紀後半から14世紀初頭にかけて活躍した、「言葉の錬金術師とも言うべき」格言詩の遍歴歌人、フラウエンロープはヴァルターの「広く深い思考法と多彩な詩作法」を踏襲した。ハンス・ザックスに代表される職匠歌人(マイスタージンガー)の世界では、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ、フラウエンロープらとともに ’die 12 alten Meister’(「十二先師」)の一人として崇められ、一連のヴァルターの調べ(Ton)に彼らは新しい歌詞をのせた。啓蒙主義時代末期から、とりわけロマン派時代に「中世」が再発見されたとき、ヴァルターはドイツ人にとって特別な役割をはたした。当時ドイツ語圏は英仏とは異なり無数の小国にわかれ、市民には政治的権利が認められていなかった。中世は過ぎ去った栄光の時代とされ、ヴァルターはこの栄光の告知者、中世の国民詩人とみなされた」。 リヒャルト・ワーグナーは16世紀のニュルンベルクを舞台に展開する歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を制作したが、副主人公として騎士ヴァルターを登場させている。彼はニュルンベルクでのマイスタージンガーの歌くらべに参加して優勝し、親方の一人ポーグナーの一人娘と結婚することができるのだが、どのマイスターの弟子として歌を学んだかとの問いに対して、自分はヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデの作品を伝える書物によって歌を学んだと答えている。 ドイツの女性を挙措と容姿に優れ、男子を教養高いと褒め称えたいわゆる「讃歌」(Preislied)は、1922年から1945年までドイツ国歌として歌われた歌詞に影響を与えた。 20世紀後半には de:Liedermacher(ドイツ語圏のシンガーソングライター)たちに注目され、Joanaや de:Franz Josef Degenhardt らのシンガーソングライター、そしてロックバンド “ de:Ougenweide“ やフォーク・ロックバンド “Emma Myldenberger“ 、さらに詩人de:Peter Rühmkorfらに大きな影響を与えた。また、イタリアの有名なシンガーソングライター(cantautore)en:Angelo Branduardi はヴァルターのもっとも有名な「ぼだい樹の木かげ」(Under der linden)をイタリア語と英語で翻案して歌った。
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