参戦決定までの経緯とは? わかりやすく解説

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参戦決定までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 04:50 UTC 版)

トヨタF1」の記事における「参戦決定までの経緯」の解説

トヨタヨーロッパにおけるレース活動としては、世界ラリー選手権 (WRC) においてトヨタワークス・チームであったトヨタ・チーム・ヨーロッパ (Toyota Team EuropeTTE) が1972年昭和47年)から1999年平成11年)までの28年世界ラリー選手権参戦し日本車メーカー史上初を含むドライバーズタイトル4回(1990年・1992年1993年・1994年)、マニファクチャラーズタイトル3回1993年・1994年1999年)を獲得する活躍見せていた。またTTE以外では、関連会社トムス組んで1985年から1992年までル・マン24時間レーススポーツカー世界選手権参戦するなど幅広い活動行っていた。一方F1に関して何度エンジン供給の話が噂に上がってはいたがいずれもとなっていた。1980年代ロータス技術提携した際、チーム・ロータス供給するターボエンジン試作したことがあったが、チーム体制変動により計画立ち消えとなっている。1991年平成3年)にトムスアラン・プロストジョン・バーナードと共にF1参戦試みた際にはエンジン供給断っている(詳しくプロスト・グランプリ参照)。 しかし90年代WRCエントラント優勝車ともに日本車メーカーがほぼ独占状態であったためヨーロッパで人気低下著しく加えて同じカテゴリで勝ち続けることへの不安の声も社内大きくなっていた。そこで1997年トヨタ自動車社長に就任した奥田碩は、ヨーロッパにおける新たなブランドイメージ作りシェア拡大若者対すアピールなどを目的として、1997年平成9年)よりF1へ転身本格的な検討入り同年11月には社内決定1999年平成11年1月21日記者会見において奥田が「21世紀初頭からF1世界選手権参戦する」ことを正式に表明した自動車メーカーがF1に新規参入する場合有力なシャーシコンストラクターと組むか買収することが勝つための常識とされていたが、トヨタエンジンから車体設計まで全て自社製で参戦することを選択した当初2001年平成13年)より参戦開始する予定だったが、F1のエンジンレギュレーション変更などの関係で準備が遅れ、結局2002年デビューすることが決まった参戦表明した当時エントリー可能なチーム数は12までという規定があり、トヨタ国際自動車連盟 (FIA) に4,800ドル当時為替レートで約49億円)という巨額供託金納めて残り1枠仮押さえした。2000年参戦すれば供託金全額返還2001年ならば1,200ドル没収されるという仕組みだったが、トヨタはさらに1年遅れたため、4,800ドル全額没収された。

※この「参戦決定までの経緯」の解説は、「トヨタF1」の解説の一部です。
「参戦決定までの経緯」を含む「トヨタF1」の記事については、「トヨタF1」の概要を参照ください。

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