参戦決定までの経緯
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トヨタのヨーロッパにおけるレース活動としては、世界ラリー選手権 (WRC) においてトヨタのワークス・チームであったトヨタ・チーム・ヨーロッパ (Toyota Team Europe、TTE) が1972年(昭和47年)から1999年(平成11年)までの28年間世界ラリー選手権に参戦し、日本車メーカー史上初を含むドライバーズタイトル4回(1990年・1992年・1993年・1994年)、マニファクチャラーズタイトル3回(1993年・1994年・1999年)を獲得する活躍を見せていた。またTTE以外では、関連会社のトムスと組んで、1985年から1992年までル・マン24時間レースやスポーツカー世界選手権に参戦するなど幅広い活動を行っていた。一方F1に関しては何度かエンジン供給の話が噂に上がってはいたがいずれも幻となっていた。1980年代にロータスと技術提携した際、チーム・ロータスへ供給するターボエンジンを試作したことがあったが、チームの体制変動により計画は立ち消えとなっている。1991年(平成3年)にトムスがアラン・プロスト、ジョン・バーナードらと共にF1参戦を試みた際にはエンジン供給を断っている(詳しくはプロスト・グランプリを参照)。 しかし90年代のWRCはエントラント・優勝車ともに日本車メーカーがほぼ独占状態であったためヨーロッパでの人気低下が著しく、加えて同じカテゴリで勝ち続けることへの不安の声も社内で大きくなっていた。そこで1997年にトヨタ自動車社長に就任した奥田碩は、ヨーロッパにおける新たなブランドイメージ作りとシェア拡大、若者に対するアピールなどを目的として、1997年(平成9年)よりF1への転身の本格的な検討に入り、同年11月には社内決定。1999年(平成11年)1月21日、記者会見において奥田が「21世紀初頭からF1世界選手権に参戦する」ことを正式に表明した。 自動車メーカーがF1に新規参入する場合、有力なシャーシコンストラクターと組むか買収することが勝つための常識とされていたが、トヨタはエンジンから車体設計まで全て自社製で参戦することを選択した。当初は2001年(平成13年)より参戦を開始する予定だったが、F1のエンジンレギュレーション変更などの関係で準備が遅れ、結局2002年にデビューすることが決まった。 参戦表明した当時、エントリー可能なチーム数は12までという規定があり、トヨタは国際自動車連盟 (FIA) に4,800万ドル(当時の為替レートで約49億円)という巨額の供託金を納めて、残り1枠を仮押さえした。2000年に参戦すれば供託金は全額返還、2001年ならば1,200万ドルが没収されるという仕組みだったが、トヨタはさらに1年遅れたため、4,800万ドル全額が没収された。
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