参戦時の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 04:50 UTC 版)
イタリア王国が1940年6月10日に二度目の世界大戦に参戦した時、イタリア海軍は世界で4番目の規模を持つ海軍であった。しかしムッソリーニの無策で国際的に孤立していたイタリアは、枢軸国側に付く以外に選択肢が無く、結果として主力艦以外ならば同等の規模を持つフランス海軍と、数の上でも質でも欧州最強を誇るイギリス海軍を同時に相手にせねば成らない状況下に置かれていた。またイギリスやアメリカなどからの石油輸入に頼るイタリアは外交的な孤立によって慢性的な燃料不足状態に追い込まれ、大型艦艇の訓練や作戦行動も著しく制限されていたのも不安要素であった。 頼みの綱である改装戦艦4隻からなる大戦力も、内実からすれば第一次世界大戦時に用いられた弩級戦艦であり、新技術を用いて徹底的に改修したものであるとは言え、イギリス海軍は勿論、フランス地中海艦隊を相手にするにも一枚落ちる戦力でしかなかった。おまけにその内の2隻はドックで改修を施している最中で、開戦時には改装戦艦がたった2隻に過ぎなかった。ただこれには事情があり、そもそもの経済不安や工業力不足を押して対外戦争を続けたことで、イタリア王国軍は陸海空いずれも疲弊した状況にあった。その為、軍需大臣ファヴァグロッサ(英語版)を初めとする閣僚陣や軍上層部は1943年以降の参戦をムッソリーニに求めており、海軍もそれに合わせた計画を進めていた。具体的には1942年頃までに4隻の新戦艦(ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦)を建造し、並行して先に述べた旧式戦艦4隻の近代化改修も済ませることで8隻の戦艦を戦列に並べ、フランス海軍に(或いはイギリス海軍へも局地的に)対抗するという計画であった。しかしムッソリーニが予想だにしない早期の参戦を強引に決定した為、海軍はまだドックに6隻の戦艦が眠る状態で戦いの渦中へ放り込まれてしまったのである。 イタリア海軍にとって不幸中の幸いだったのは当面の敵と考えられたフランスが極めて早い段階で降伏したことであり、結果として対仏戦はジェノヴァ沖で仏艦船と伊軍砲台が砲戦を交わしたのみに終わった。しかし、イギリス海軍が主敵となった後も、戦力面や燃料面での不利からイタリア海軍はイギリスとの艦隊決戦に消極的であった。イタリア海軍は、仮にイギリス海軍に打撃を与えたとしても、工業力に勝る英軍は直ぐに戦力を再建できるが、工業力に乏しい自軍にそれはできないとも考えていた。この方針により、イタリア海軍は、本土沿岸部防衛とアルバニアやリビアへの海上輸送の警備に腐心し、主力艦隊はイギリス海軍を牽制する存在として温存された。その代わりに奮戦したのはやはり前大戦同様に潜水艦や水雷艇などの小型艦艇であり、参戦から一週間で潜水艦部隊が英海軍の巡洋艦2隻と潜水艦3隻を沈めている。
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