印欧語の類似の発見
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「ウィリアム・ジョーンズ (言語学者)」の記事における「印欧語の類似の発見」の解説
ジョーンズは1786年2月2日カルカッタの学会で発表した"On the Hindus"「インド人について」の中で、サンスクリットについて以下のように述べた。 “The Third Anniversary Discourse, Delivered 2 February 1786 (On the Hindus)”. Asiatick Researches 1: 415-431. (1806). https://archive.org/stream/asiaticresearche01asia#page/414/mode/2up. (引用箇所はpp.422-423) サンスクリットは、その古さもさることながら、驚くべき構造をしている。ギリシャ語より完璧であり、ラテン語より豊富であり、そのどちらよりも精巧だが、動詞の語根や文法の様式において、これらの言語と偶然とはとても思えないほどの強い類似性を持っている。実際、その類似性の強さは、どんな文献学者でもその3言語をすべて調べれば、おそらくは既に消滅してしまった共通の源から派生したのだと信じずにはいられないくらいである。同様に、ギリシャ語やラテン語ほど顕著ではないにせよ、ゴート語とケルト語も、他の言語との混合も見られるものの、サンスクリットと同じ起源を持っていたと思われる。さらに、今日のテーマが古代ペルシャを論じるものであったなら、古代ペルシャ語を同じ仲間のリストに加えてもよかっただろう。 この箇所は講演全体のなかで特に重要な位置を占めておらず、またどのように類似しているのかという例は何も示されていない。ジョーンズ自身はその後もこの予想を実証しようとすることはなかった。にもかかわらず、後のインド・ヨーロッパ語族の比較言語学の発展を促すことになった発言としての歴史的な価値を持っている。 この講演は、ベンガル・アジア協会の会報として1789年にカルカッタで創刊された『アジア研究誌(Asiatick Researches)』に掲載され、はじめて一般の目にふれた。同誌は、ウィリアム・ジョーンズを含むイギリス東インド会社に雇用された学者らの研究成果をヨーロッパに伝えている。しかしジョーンズの推定が比較言語学という学問となって育ったのはイギリスではなく、19世紀のドイツにおいてであった。 なお近代比較言語学のきっかけ自体は他に先例があり、有名なものではオランダ人の van Boxhorn (ドイツ語版)がペルシア語とオランダ語・ドイツ語・ラテン語・ギリシア語がひとつの祖語に由来すると言う説を1637年に述べ、後にサンスクリット・スラブ・バルト・ケルト語を加えた。フランス人神父クールドゥー(G.L.Coeurdoux)が1767年に、やはりインドでラテン語とサンスクリットの類似性を指摘しているが、これは宗教的な共通性を感じたというだけで、手紙自体は1808年に公開された。また印欧語以外ではジョーンズ以前にシャイノヴィチ・ヤーノシュ(英語版)によるハンガリー語とラップ語の比較(1770年)という先駆的な業績がある。
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