博文館の解体と再編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 18:38 UTC 版)
大橋進一社長は、終戦後、日本出版協会で、左翼系の出版業者から、講談社・主婦之友社などとともに「戦犯出版社」として吊し上げを受けたことを機に、急速に事業への意欲を失っていったという。 1947年(昭和22年)に博文館および大橋進一社長の公職追放問題が浮上したことを機に、同年8月、大橋社長は博文館名義の書籍・雑誌を、以下の6社に有償分割譲渡した。 講談雑誌社(綱島きよ子) - 『講談雑誌』 ストーリー社(堀江柳子) - 『ストーリー』『家庭エホン』 農業世界社(大橋八重子) - 『農業世界』 野球界社(大原栄子) - 『野球界』 江古田書房(大橋まさ) - 『新青年』 (清水花子) - 辞典・書籍 このため、各雑誌の発行名義は同年10月号から変更された。また、大橋家の資産管理会社であった株式会社大橋本店は東海興業株式会社と改称し、6社の出版物取次販売業務を行うこととなった。 10月15日、大橋新一が独占禁止法適用により博文館社長を辞任、同月中に全社員が退社し、6社および東海興業に振り分けられる。11月16日、博文館が団体追放、19日、大橋進一が公職追放。また、12月には日本橋の博文館ビルが日本繊維協会に売却される。このとき、同時に「博文館」の社名も同協会に売却された。 しかし、6社の発行名義人はいずれも大橋家の身内であったため、法務庁特別審査局(特審局)では、進一が依然として指揮しているものとにらみ、内偵を始めた。このため、危機感をいだいた進一は、博文館元社員の小野慎一郎・小野高久良・高森栄次の3人を呼び出し、6社の出版権を再整理して3人で経営にあたるように指示した。その結果、旧博文館6社は1948年(昭和23年)5月15日、あらためて以下の3社に再編された。 博友社(小野慎一郎) - 『野球界』『農業世界』『ストーリー』 文友館(高森栄次) - 『講談雑誌』『新青年』『家庭エホン』 好文館(小野高久良) - 辞典・書籍 ただし、実際には3社共通で、小野慎一郎が経理、高森栄次が編集、小野高久良が資材を担当する体制であった。 その後、大橋進一と3社は同年7月25日に公職追放令違反容疑で家宅捜索を受けたが、証拠不十分で不起訴となる。さらに、同年10月には脱税容疑で東京財務局国税査察部からの査察を受ける。 この税務査察を機に、3社は博友社(小野慎一郎社長)として再統合され、株式会社となる。1949年(昭和24年)、旧6社の発行名義人と東海興業から、博友社に正式な出版権譲渡がなされた。 これとは別に、1950年(昭和25年)5月4日、進一の娘・大橋まさによって博文館新社が創業され、譲渡対象となっていなかった『博文館日記』の出版が再開されることになった。社名に「新社」がつけられたのは、上述のように「博文館」の社名が売却されていたためである。
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