医療ケアのクオリティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 05:29 UTC 版)
「マザー・テレサに対する批判」の記事における「医療ケアのクオリティ」の解説
1991年にカルカッタにあるテレサの施設「死を待つ人の家」を訪れた、イギリスの医学雑誌ランセットの編集委員であるロビン・フォックスは、そこで患者に行われていた医療ケアを「でたらめ」(haphazard) と表現している。修道女とボランティアたちにはまったく医学的知識がない者もいたが、ホスピスであるこの施設には医者がいないため、彼女たちが患者のケアについて決定権を持っていたのである。フォックスはこの施設の環境に関してマザー・テレサの責任を重くみるとともに、テレサの修道会が治療の可能な患者と不可能な患者の区別をつけていないことに注目している。つまり、助かる可能性のあるひとでも、感染や処置不足により死の危険に晒されてしまうとことである。 フォックスもこの「死を待つ人の家」で修道女たちは清潔さを保ち、患者の傷や痛みによくつきあい、親切心にあふれていることは認めるのだが、彼女たちが患者の苦痛に対処する手段は「憂慮すべきほど不十分」だと述べている。この施設の処方集には強力な鎮痛剤がなく、フォックスはこれこそがマザー・テレサの取り組みと、一般的なホスピス運動をはっきりと区別するものだと考えた。フォックスの観察では、注射針はお湯ですすぎ洗いされるのみで殺菌が十分ではなく、結核を患った患者も施設内で隔離されていなかった。修道会の施設における、このような不注意な医療ケアを報告する文書は枚挙にいとまがない。かつてテレサの教団で働いていたボランティアの一部からも同様の意見が提出されている。マザー・テレサ自身がこうした施設を「死を待つ人の家」と表現している通りである[要出典]。 2013年、マザー・テレサに関する文献の96パーセントをカバーし包括的な検討を行ったモントリオール大学の研究者グループの研究は、かねてからあったマザー・テレサに関する批判を補強している。いわく「苦しみを癒やすかわりに讃美することをもって病人のケアとしている。…彼女の政治家との疑わしい交際、受けとった巨額の資金の管理への疑問、とくに中絶、避妊、離婚に対するあまりに教条的な見方」。無数の批判があることを顧みないバチカンの意図に疑問を投げかけつつ、モントリオール大学の研究はマザー・テレサの「神聖化されたイメージ―事実の分析に耐えるものではない―が構築されており、彼女の美化はメディアを巻き込んだ巧みなキャンペーン活動によって組織的に行われた」と指摘している。その活動を担ったのが、カトリックに改宗した中絶反対派のジャーナリスト、マルコム・マゲリッジであった。
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