医療ジャーナリストとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 18:02 UTC 版)
「村中璃子」の記事における「医療ジャーナリストとして」の解説
2009年の新型インフルエンザの流行を機に世界保健機関の仕事を挟んでから、大学時代の友人である新聞記者にメディア関係者の懇親会に招かれたのを機に、ペンネームのフリージャーナリストとなる。2014年の西アフリカエボラ出血熱流行の際には、バイオセキュリティーの観点から論考を発表し、読売新聞の「回顧論壇2014」で、国際政治学者の遠藤乾北海道大学教授による論考三選の一本に選ばれた。2016年京都大学大学院医学研究科非常勤講師。2017年11月、日本のHPVワクチン接種率が70%から1%に激減する中、ワクチンについての誤情報を指摘し、安全性を説いたとして、ジョン・マドックス賞を日本人として初めて受賞した。
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