医療ソーシャルワーカーとして働く
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 02:15 UTC 版)
「浅賀ふさ」の記事における「医療ソーシャルワーカーとして働く」の解説
1901年に開設された聖ルカ病院(のち聖路加国際病院)は、当時の日本にはない先進的な医療体制・医療環境を整える病院として知られていた。浅賀は、病院を設立した同病院院長のトイスラーにニューヨークで面会し、聖ルカ病院に入職することになった。1929年アメリカから帰国し、聖ルカ病院に新たに開設した医療社会事業部に入職した。医療社会事業は、20世紀初頭にイギリス、アメリカ、フランスなどで始まり、当時の日本での取り組みはなく、浅賀により日本で初めて欧米で発展した理念に基づく医療社会事業が導入された。医療社会事業部では、チャリティクリニックという貧しい患者を対象とした無料、低額の診療事業が行われた。一定のベッド数が、チャリティクリニックのために確保されていた。社会事業部は、次第に発展し、スタッフ10人を要する部署となり、1933年には作業治療部がつくられ、リハビリテーションやグループワークにも取り組んだが、戦前の病院社会事業は聖ルカ病院に止まり、他の医療機関への展開はなかった。1938年浅賀は衆議院議員の浅賀長兵衛と結婚して、聖ルカ病院を退職し、医療社会事業家としての経歴にも終止符が打たれた。しかし、1945年に長兵衛は死去する。
※この「医療ソーシャルワーカーとして働く」の解説は、「浅賀ふさ」の解説の一部です。
「医療ソーシャルワーカーとして働く」を含む「浅賀ふさ」の記事については、「浅賀ふさ」の概要を参照ください。
- 医療ソーシャルワーカーとして働くのページへのリンク