北部方面作戦とは? わかりやすく解説

北部方面作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 15:33 UTC 版)

ロバート・ロジャーズ」の記事における「北部方面作戦」の解説

1755年から1758年ロジャーズとそのレンジャーズ部隊イギリス領植民地対す北から接近路で作戦展開するイギリス軍指揮官の下で働いた。その指揮官とはウィリアム・ジョンソン少将ウィリアム・シャーリー少将、ウィリアム・ハビランド大佐およびジェイムズ・アバークロンビー少将だったが、いずれも成功しなかった。当時イギリスシャンプレーン湖、クラウンポイント、タイコンデロガおよびハドソン川上流防衛的な作戦展開する上のことはほとんど行えていなかった。 この時期レンジャーズ部隊必要欠くべからざるのであることを証明した徐々に12個中隊にまで成長し、さらにイギリス側への同盟誓ったインディアン部隊幾つか加えられた。ロジャーズはその指揮官代行であり、自らの中隊については直接指揮官だった。ロジャーズイギリス軍の上官には何度も忠告していたが、その大半無視されていた。 1757年1月21日第一次かんじきの戦いで、ロジャーズ・レンジャーズカリヨン砦の近くで7人のフランス人急襲して捕まえたが、その後100名のフランス人およびカナダ人民兵、さらにオハイオ・カントリーから来たオタワ族インディアン遭遇したロジャーズ部隊損失出して撤退したイギリス軍1757年8月ウィリアム・ヘンリー砦降伏した後、レンジャーズエドワード砦に近いロジャーズ島に駐屯した。このことでイギリス正規軍よりも自由に訓練作戦展開を行えようになった1758年3月13日第二次かんじきの戦いで、ロジャーズ・レンジャーズフランス軍インディアン部隊待ち伏せしたが、逆に敵軍迎撃された。レンジャーズはこの戦闘125名を失い、8名が負傷し52名が帰還したロジャーズフランスインディアン連合軍についても100名が戦死し100近く負傷した推計した。しかし、フランス軍インディアン10名が戦死し17名が負傷したとだけ損失報告していた。 1758年7月7日ロジャーズ・レンジャーズカリヨンの戦い参戦した1758年アバークロンビー将軍ロジャーズ功績認めて少佐昇格させ、同じくらい有名なジョン・スタークを副指揮官につけたロジャーズはこの時任務に合わせて大尉少佐2つ階級持っていたことになる。 1759年戦争趨勢変わりイギリス軍ケベック市まで進軍した新しくアメリカイギリス総司令官指名されジェフリー・アマースト少将素晴らしく決定的なアイディア持っていた。アマーストは、ニューイングランド襲撃してくるインディアン進発基地であるケベックのサンフランシスにいるアベナキ族に対してロジャーズ・レンジャーズ西からその背後深く遠征させた。ロジャーズはクラウンポイントから200名のレンジャーズ部隊率いフランス領深くサンフランシスに進行した当時、サンフランシスに近いインディアンその昔ながらの生活様式諦めフランス人伝道所隣接する町に住むようになっていた。ロジャーズはサンフランシスの町に火を付け200名を殺した主張したが、実際に30名を殺し、5名を捕獲していた。1759年10月3日攻撃とサンフランシスの破壊続いてロジャーズ・レンジャーズバーモント北部の岩だらけの荒野抜けて帰還している時に食料底を突いたコネチカット川沿った安全地帯である放棄されたウェントワース砦に到着すると、ロジャーズ兵士達にそこで宿営させておき、数日して食料持って戻り、一番近いイギリス人町である現在のニューハンプシャー州チャールズタウンの第4砦から部隊救出したロジャーズ・レンジャーズがサンフランシスの町を破壊したことは心理的な大きな勝利になった植民地人はもはや救われない考えことはなくなった。サンフランシスの住人であるアベナキ族などの寄り集まり集団は、以前のように敵の攻撃及ばない場所にいるという考え棄てたアベナキ族によるフロンティアでの襲撃は止まなかったが、かなりその数は減少したタイコンデロガ砦(別名カリヨン砦) マサチューセッツ流れコネチカット川 ケベックエイブラハム平原

※この「北部方面作戦」の解説は、「ロバート・ロジャーズ」の解説の一部です。
「北部方面作戦」を含む「ロバート・ロジャーズ」の記事については、「ロバート・ロジャーズ」の概要を参照ください。

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